保険、一歩ずつ

ADRによる「共通化・標準化」の実現

 今年の6月、スカイマークが機内の座席ポケットに備え付けた「サービスコンセプト」と題する文書が批判の対象になった。その文書において同社は、航空料金を巡る競争の中でコストの低下を図るために「従来の航空会社とは異なるスタイルで機内のサービスをしている」と述べ、「荷物の収納を乗務員は援助しない」ことなどを表明した上で、乗客からの苦情について以下のように対処するとした。

 「機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は『スカイマークお客様相談センターあるいは 『消費生活センター』等に連絡されますようお願いいたします。」

 これに対し、東京都の消費生活総合センターが「消費者からの苦情は企業自らが責任をもって対処すべきだ」とする抗議文書を送ったことで、スカイマークは一気に世の中の批判にさらされることになった。
 コストの低下を図るためにスカイマークが打ち出した新しいサービスコンセプトが批判の的になったわけではない。昔ながらの手厚いエアラインのサービスがコスト低下の観点から見直し機運にあることは、格安航空会社(LCC)の展開を見るまでもなく明らかである。スカイマークへの批判は、顧客からの苦情を「消費生活センター」に「丸投げ」しようとするスタンスを標的にしたものであったことは確実である。
 今の時代、顧客からの苦情は宝物といわれ、それに適切に対処することによる顧客サービスの向上は極めて大きな競争力の源泉になるとされている。苦情を個別企業が正面から受け止める態勢作りは個々の業界の枠を超えて、今を生きるすべての企業の重要な課題になっている。
 しかし、それは真実であるとしても、スカイマークの対応は完璧に間違っていたと言えるのであろうか・・・・。一般的に企業は消費生活センターを敬遠する傾向があり、そのような中で、スカイマークはあえて中立的な行事役を求めたのであろう。それは企業としての顧客対応における自信の表れであり、またいわゆる「モンスター」と称されるような申し立て人が増加していることの反映かもしれない。

 2010年10月1日、この日に保険ADRがスタートしている。ADRの正式名称は「裁判外紛争解決処理手続き」だが、英語の「Alternative Dispute Resolution」の頭文字を取って「ADR」と呼称されている。
 裁判の場合、手続きが複雑で、解決までに時間と費用がかかるなどの問題がある。そこで、一般の人が利用しやすい制度として設けられたのがADRで、(1)申し立て手続きが簡単、(2)時間の設定など進行が柔軟、(3)迅速な解決と低廉なコスト、(4)結果の非公開などのメリットがある。
 ADRには様々なものがあるが、保険ADRの場合、損保協会などの業界団体が担い手になっている。保険契約者にとって紛争の相手方は保険会社であるから、業界団体が担い手になる場合、保険会社有利に事を運ぶのではないかとの懸念もあったが、紛争解決に必要な保険の専門知識を考えた場合、他に適切な主体がないこともあって今の形に落ち着いている。
 このことは逆にいえば、業界団体であっても会員である保険会社から一定の距離を置くことが求められ、客観性や中立性の確保が大切になるということである。紛争の当事者となった保険会社に不当に肩入れし、会社にとって都合のよい基準や約款解釈を紛争の当事者にADRを通じて押し付けることは許されない。このため、ADRでは、特に以下の3点を通じて問題が生じない仕組みとしている。
 (1)金融庁による認可と監督
 (2)通常の理事会(会員会社のトップにより構成)とは別にADR理事会を設置し、
  学者や弁護士などの中立的なメンバーを起用
 (3)ADRが出した裁定を、契約者側は拒否できるが保険会社は拒否できないという
  契約者側に有利な運営

 金融庁が公表している「保険会社向けの総合的な監督指針」(平成24年7月)においても、ADRは「相談・苦情・紛争等(苦情等)対処の必要性」という項目の中で次のように明記されている。

「顧客からの相談、苦情、紛争等(苦情等)に迅速かつ適切に対応し、顧客の理解を得ようとすることは、顧客に対する説明責任を事後的に補完する意味合いを持つ重要な活動の一つである。近年、顧客の保護を図り保険商品・サービスへの顧客の信頼性を確保する観点から、苦情等への事後的な対処の重要性はさらに高まっている。このような観点を踏まえ、簡易・迅速に保険商品・サービスに関する苦情処理・紛争解決を行うための枠組みとして金融ADR制度が導入されており、保険会社においては、金融ADR制度も踏まえつつ、適切に苦情等に対処していく必要がある。」

 金融庁の監督指針にみられるように、顧客からの苦情に適切に対応することは、顧客だけではなく世の中全体から信頼を得るために必須の条件になっている。そしてそれを通じて個々の企業の競争力も高まっていくこととなる。そのために保険会社や代理店がまずなさねばならないことは、苦情を正面から受け止めるための組織的な態勢作りである。初手からこれを放棄して外の機関に委ねるというスタンスが許されないことはスカイマークの事例が如実に示している。
 その一方で、各社の個別の苦情処理態勢に加えて、各社を横断するADRのような態勢が持つ意義は非常に大きいものがある。特に保険商品のように保険会社と保険契約者との間の情報格差が大きい状態(情報の非対称性)を考えれば、各社の苦情対応に相違があることによって保険契約者側に生じる弊害もあるだろう。
 また、保険会社や代理店の側にとっても、すべてを個別会社で対応するよりもADRを業界の共通基盤として活用し、非公開ではあるが、そこでの裁定をある種の「判例」のように活用することで業界全体としての苦情に関する共通の判断基準が生まれるという効果もあるだろう。
 ADRが各社の態勢ができた後に発足したために、それに要するコストが業界全体としてのコスト増加につながるという見方がある。しかし、業界全体としてのコストという観点で考えれば、ADRは、ADRがない状態ですべてを各社がバラバラに対応しなければならない時の総コストを引き下げる効果をもたらしているのではないだろうか。各社の苦情対応にかかわる個別のコストに、ADRという業界としての共通基盤にかかわるコストを加えた額が業界としての総コストである。ADRは保険会社の個別のコストを引き下げることで、保険業界全体の総コストを引き下げるという効果をもたらしている可能性がある。
 スカイマークの対応は決して正しいものとは言えない。特に消費生活センターのように個々の業界の枠を超えて消費者のために設置され、コストも別のところで捻出されている団体に「丸投げ」のような形で行事役を委ねることには問題があった。
 しかし、各社の個別対応を超えるところに、客観的、中立的な苦情対応の「拠点」を設け、それに情報を集中することで、苦情対応に関する判断の「共通化・標準化」を図ることには大きな意義があるといえるのである。

(文責個人)

日本損害保険協会 常務理事 栗山泰史