保険、一歩ずつ

コンプライアンスという樹木、その「共通化・標準化」

 今ではすっかり死語になっているが、この国には、かつて「順法闘争」という言葉があった。JRが国鉄という組織形態であった頃、数ある組合の中でも経営側に対して強硬路線を採ることが多かった国鉄労組がよく使った闘争手段である。
 当時の鉄道の運行に関する法律や規則は、乗客輸送の現場業務に照らし合わせると実態に合っておらず、現場は「法律に違反」して「実態」に即した業務運営を行うことで乗客の輸送に支障が出ないように努力していた。そして、これが実態であるため、現場が「法律を守る」ことは乗客を困らせることになり、乗客からの不満が国鉄の経営側に寄せられることになったのである。
 すなわち、組合が乗客をいわば人質に取り、経営に対して「要求が受け入れられないなら、法律を順守して乗客を困らせるぞ」と脅かしていたのである。コンプライアンスは「法令等遵守」と日本語に翻訳される。国鉄経営陣は労組に対して「法令を守ることは止めてくれ」と言っていたのであり、コンプライアンスが誰にとっても極めて重要な課題となった今の時代からは想像もできない話である。しかし、この国において国民が長く持ち続けた「本音と建前の使い分け」という法に関する意識の実相がここに如実に表われている。そして、「本音と建前の使い分け」はこの国においてそう簡単に消えることはない。この現実こそが、コンプライアンス態勢の構築を困難な課題にしているのである。

 このような風土の中で、それでもコンプライアンスは着実に世の中に浸透している。今や、保険に携わる人々でコンプライアンスを軽んじるものは一人もいないと言い切ってよいくらいだ。しかも、その多くが「上からの強制」ではなく、グローバル化の進展に伴う新しい価値としてコンプライアンスの重要性をしっかりと認識している。全国保険代理業協同組合連合会が2011年11月に公表した「保険代理業者CREDO」はそうした動きの現れと評価でき、代理店としての「自立と自律」という枠組みの中でコンプライアンスを捉えている。
 しかし、それにも拘らず、まじめにコンプライアンスに取り組もうと考えている人ほど悩みが深いというのも事実である。この悩みは、昔のように「コンプライアンスなどと口に出しているようじゃ、契約は取れない」とか、「顧客のためには規定なんか守っていられない」というような原始的な悩みではなく、もっと深刻なものであるように見える。前向きに取り組もうとすればするほど、眼前に広がる膨大で複雑な世界に圧倒されるからだ。あまりにもルールが膨大かつ複雑に広い分野にわたり、たとえば乗合代理店の立場からすれば、保険会社ごとにルールに差があり、具体的なマニュアルに関してもどれを軸にすればよいか分からないほど多種多様なものがある。
 コンプライアンスとは、すなわち「法令等遵守」であり、守るべきルールは保険業法などの法律だけではない。保険会社が自らの判断で設ける数々の「ルール(規定)」もまた守るべき法令の範囲にある。

 コンプライアンスを考えるとき、大きな樹木を思い描くとよい。幹は保険業法や保険法、そして幹から出ている枝は、それに関わる行政のガイドラインだ。そこから先、花や葉は各保険会社が自由にかつ自主的に設ける各種の「ルール(規定)」だ。そして、花や葉は競争において重要な位置付けにあるとともに、社風さえ形作る。幹と枝はどこの会社もほとんど変わることはないが、時折の剪定は必要である。それよりも問題となるのは、花と葉である。奇妙な花が咲き、多すぎる葉によって樹木全体が醜い姿形になっていないかどうかが問われる。

 数学のような話で申し訳ないが、座標軸を書いて頂きたい。X軸(横軸)は、幹と枝、すなわち法律上のルールの必要性の強弱である。右に行くほど法律上必要なルールで、左に行くほど法律上不要なルールである。Y軸は、花と葉、すなわち会社としてルールを設けることの必要性の強弱である。上に行くほど会社として必要なルールで、下に行くほど会社として不要なルールである。この結果、4つの象限が現れる。右上の象限は、法律上も会社としても必要なルール、右下は、法律上必要だが会社としては不要なルール、左上は、法律上は不要だが会社としては必要なルール、左下は、法律上も会社としても不要なルールである。
 この4つの象限に、今存在するすべてのルールを置いてみる。右上は法律上も会社としても必要なルールであるから存在になんら問題はない。右下は、会社としては不要でも法律上必要なルールであり、油断すると不祥事につながりやすい部分である。しかし、時代の流れに即さず、実務の実態を反映していない法律があることで設けざるを得ないルールもあり、そのような場合には行政に規制緩和を要望することが必要となる。
 このように、X軸が正しいかどうか、しっかり法律の内容を検証することは大切だが、さらに重要なことはY軸の検証である。真の意味で会社にとって必要という観点でY軸が設けられているか、逆に言えば、ある部門や特定の個人の私利私欲によってY軸が設けられていないか、X軸以上に不断の検証が求められる。Y軸は自主的に設定される軸であるがゆえに、コーポレートガバナンスを含めて厳正に設定されることが必要である。
 このように考えると、重要な象限は左側の上下である。左下は法律上も会社としても不要なルールであるから撲滅の対象である。不要なルールが見直されないまま残っていることや、ある部門の自己防衛や担当者の個人的趣味のような形でルールが設けられることもある。保険会社の本社部門が営業や損害調査、代理店等の第一線を悩ませ、無力感に導くのはこうしたルールの存在であることが多い。しっかりと目を光らせ、常に点検を続けることで撲滅することが重要だ。

 左上が最も大切な象限である。「自由化・規制緩和」の大きな流れが保険の自由化を生み出したが、ルールという観点から見れば、この座標軸のうち、右側すなわち法律上必要な公的規制を最小限に減らし、左側の民間による自主的ルールに委ねるというのが「自由化・規制緩和」の持つ本質的な意味である。かつての護送船団行政の時代には、左側が極めて小さな世界に止まっていた。しかし、自由化・規制緩和が進行した現在、左側が大きく拡大している。そして、左下を撲滅する努力を行いながら、左上に確かな存在感を与えることが重要である。企業ごとの経営理念を頂点とする自主的なルールがここに描かれ、この中には、「商人道」のような世界も含まれるのである。先に紹介した「保険代理業者CREDO」が掲げる「自立と自律」もまさにこの左上の象限そのものである。

 最後に、コンプライアンスにおける「共通化・標準化」について述べたい。自由化以降、すべての分野で激しい競争が行われたが、コンプライアンスに関しては損保協会にコンプライアンス委員会が設けられるなど業界としての一定の規律が保たれている。しかし、それでも保険会社ごとに様々なルールやマニュアル等が溢れているのは否めない事実である。
 先の4つの象限の左上の部分を除いては、各社が個別のルールを設ける必要はない。各社が競争するにあたり最低限必要な「ゲームのルール」が先の座標軸の右側、すなわち法律上必要なルールである。たとえば、これに関するマニュアルや書式などは各社が個別に作成することなく共通化・標準化するべきである。また、左下の不要なルールの撲滅に関しても各社の情報交換をベースに、業界としての対応が行われてよい。これらはともに「非競争領域」である。これに対し、先の左上の象限は民間として自由に生き生きとした競争を行うにあたり設けるべきルールであり、まさに「競争領域」に属するものである。

 コンプライアンス態勢を構築する上で、陥ってはならない大きな悲劇はあまりにも厳格なルールや本来撲滅すべき不要なルールの氾濫で組織全体を硬直化させることである。これはY軸の設定における価値観の誤りであり、花や葉が醜悪な形で幹と枝を覆いつくしている状態である。
 コンプライアンス態勢という樹木を美しい形で維持するためには、永続的な努力が必要である。そして、これに関しても、「共通化・標準化」という「非競争領域」と各社固有の企業理念を含む「競争領域」のベストミックスが求められるのである。

(文責個人)

日本損害保険協会 常務理事 栗山泰史