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日本人とは何か

第7回 ナポリの旅と出会い

公益財団法人東京財団
上席研究員
小松正之
2016年4月13日

ナポリの歴史

3月上旬から南イタリアを訪れた。

今までよく知らないナポリを含む南部地方のイタリアを知りたいと思った。

ナポリの歴史は複雑である。

ナポリとはギリシャ人が紀元前8世紀に、貧しい本国から逃れて建設した「新しい都市」との意味で、その後ローマ帝国の支配下にはいり、ビザンツ帝国と西ゴート族などの侵入でイタリアは分裂国家になり、12世紀にノルマン人がナポリを支配する。其の後は、スペインとフランスが、領土拡張と王位の継承をめぐり何度もその支配を変えた。統治者は変わったが、ナポリ市民は自由に生きてそれが現代まで続いている気がする。


混沌の道路

ローマからナポリまでの220キロを3時間で走り、高速道路を下りた。ナポリ市内に入ってから道路が狭く工事中で、特有の身勝手な運転で、ぎっしり詰まり、車間を運転した。ホテルは、道の狭い王宮近くにあり、歩行者がたくさんいた。カーナビも最終地点では効かず、何人かに道順を聞きながら、漸く辿りついた。ナポリ人は皆親切だった。フロントに行き一時駐車した3分程度の間に、後ろのタクシーがクラクションを鳴らし運転手がわたしに抗議したが、こちらは「申し訳ありませんね」と言う以外なかった。


サンタルチア海岸とヴェスビオス山

翌日は良い天気で、ホテルから歩いて10分でサンタルチア海岸に着いた。光り輝き美しい海岸で、サンタルチア「聖なる光」の意味がようやく分った。サンタルチアから見た西側の丘の斜面のスペイン風の赤白壁の住宅街はとても綺麗だった。東側のベスビオス山も頂が二手に分かれて青い大空に突き抜けていた。

王宮はスペインとフランス統治時代の絵画でいっぱいで、3月8日はGiorna Donna「女性の日」で女性の入場料が「無料」だった。ミモザの花が街頭で売られ、「イタリア移民の女性が米国の繊維工場で働き火事で命を失い、霊を慰め労働に敬意を表する日として設定された」とのことだ。

市街地を通り、フニクラ(ケーブルカー)に乗り、山頂の駅にたどり着き、歩くと、イタリア男性が話し掛けてきた。東京、大阪や神戸の大丸でカメオを売っていたとのこと。


思わぬ出会い

サンテルモ城からナポリの絶景を楽しんでいると、3人連れ、2人が女性(69歳のフランス人女性と62才のイタリア女性)男性(62才でフランス人)と話が始まり、博物館を案内すると言われ、夕食をPizza屋でとの誘いを受けた。

夕刻、近くの広場でタクシーを降り、ピザ屋への道を聞いた靴屋の男性店主は、「ピザ屋もレストランもナポリはまずいところがない「da Attilio」というピザ屋も美味しいが、中心街には美味しいところがたくさんある。世界は小さくなった、東京でまた会いましょう。あなたはどうしてイタリア語が上手なのか」と。別れるのが名残惜しそうだった。

星の形のピザを勧められ、キノコ、トマトとチーズがたっぷりの店の名物だった。フランス女性人はシャンパーニュでソムリエを引退後、教会の壁の補修等をし、イタリア女性は、母がナポリ沖のイスキア島出身で、お父さんが医者で戦争でローマの家も破壊され、職も無くイエメンに住み、中東戦争が起こり飛行機で脱出。イタリアには帰れずジュネーブで生まれたとのこと。仏人の男性はイタリア語が話せず、物静かで品があった。


親切の嬉しさ

出会いが、ナポリから始まり、この後も続く。私のナポリへの先入観が全く覆される。本当に優しく親切である。ある人は「ナポリは皆隣人の街だ」と言った。治安もよくなり、清潔で安全だ。帰国後、エール大学院の後輩たちのレセプションがあった。彼らの日本の印象は人々が親切で優しいとのこと。日本人とイタリア人では親切の質が異なろうが、人の心を豊かにする。世界から見ると日本人もこれを持ちあわせる。「日本人の弱点ではなく強みだろう。」外国に行き親切にされると一段と嬉しい。



ナポリのピザ屋 da Attilioにて
左から、次女、マリテ(仏女性)、ミラ(伊女性)、フランシスコ(仏)と著者 
2016年3月8日


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