火災保険 自動車保険 傷害保険 生命保険 農林水産省の皆様へ 気象庁の皆様へ 茨城県庁の皆様へ 法人のお客様 お問い合わせ

日本人とは何か

第18回 種山高原と住田町の教育と日本人

公益財団法人東京財団
上席研究員
小松正之
2016年11月11日

自分の故郷を知らない

2015年4月以来、私は自分の故郷である岩手県の気仙地方に属する陸前高田市、住田町とたびたび通う。ここで森と川と海の関係に関する古く新しい壮大な研究テーマに取り組むためである。陸前高田市と住田町の気仙川水系の流水域とそれが流れ込む広田湾の関係の基本情報を蓄積している。森、川や地質の変化には数十年から数千年の長大な時間がかかり、その関係を解明するには膨大な時間がかかることが挑戦である。

ところで、繰り返し故郷を訪れ、自分の故郷をほとんど知らなかったことに驚く。故郷を知らないことは自分が日本についても知らないことにつながる。

我が家は神道の儀式に則って葬儀を取り仕切る。死後の戒名や先祖の家系図についても知らないし、故郷の集落、生活と歴史についても知らない。


森林と海に宿る精霊か科学か

森には、精霊が宿るとか鎮守の森とか云われるが、私たちの研究は物理的な礫石、水や科学的栄養や生物を知ることである。真の効果や影響が海の恵みとして結実するには膨大な時間がかかるため、森や林には精霊や恵比寿が宿るという言葉が使われる。住田町と大船渡市の境界に聳える五葉山は、山伏が修行した霊験あらたかな山である。巨大な石が、台風や大雨でながされ、すこしずつ砕けてそれが下流の海浜、藻場や干潟を形成する。この所業だけ見ても、物理的な万有引力の法則と考えるのか、そもそも神の仕業と考えるのかによって、見方が変わる。キリスト教でいう創造説と進化論の争いに似ている。最近の日本人も都市に住み、食糧を自分で調達することがなく、自然への恐れが自分から身近な存在ではなくなる。そして考えが変わる。


自然との触れ合いと宮澤賢治

最近、パプア・ニューギニアやマーシャルやミクロネシア連邦に行き、人々がゆっくり必要な分を働いたり、自然の恵みを得たら、家族や親類とのんびりする人生を楽しむのを見た。近代社会につかり毎日、時間に追われ組織的で管理された仕事に追われ自然と接する事もなくなると先進国の人間は自分たちが上等で、自然のサイクルに任せて長閑に過ごす人々をなまけ者扱いをすることが間違いなのではないかと思える。

五葉山と種山高原も山に入ると自然に触れ合う。日本人は自然を大切にする民族と言われた。種山高原には宮澤賢治は30回以上訪れてここで、寝泊りし、彼の泊った岩陰は賢治ホテルとも呼ばれた。「風の又三郎」、「種山高原」や「銀河鉄道の夜」なども書き上げたと言われる。賢治は、盛岡中学(現盛岡一高)では、それほど秀才と言われたわけではないが、盛岡高等農林学校では優秀だった。植物や農業にも詳しく鉱石にも天体にも詳しかった。賢治は明治後半から昭和初期では、格段に恵まれた中高等教育をうけた人である。


大切な教育

11月2日住田町の世田米中学校で総合学習の授業を参観した。林業の町、住田町の生きた教育と林業学習の授業では、生徒が生き生きし森林と環境保持の重要性を語る。中学生の思考力と脳が自在に機能しているような素晴らしさであった。やはり大切なことは、教育であると考える。教育を通じて、人間として必要な教養と人生を真面目に生きる基本的な姿勢を身に付けることではないかと思う。教育も子供に対する長大なエネルギーと時間の投資である。森川海の関係に似る。即効ではなく数十年かかる。


日本人とは何か;時代、自然と教育が影響

日本人とはいつの時代でも同じではない。現在の日本人が、終戦直後の日本人とは異なるだろうし、江戸庶民の文化が花開いた文化文政時代、明治近代化の礎となった時代の日本人とも違う。現代の日本でも東京に住む人間と地方を故郷とする人間も違う。機械・ITを駆使する人間と自然に親しむ人間はまた異なる。自由な思考力を身に付ける教育を受けた日本人とそうでない人間は当然に異なる。日本人とは何か。日本の歴史と風土から影響を受けていることは事実だ。



11月2日楽しく授業する岩手県世田米中学校2年生


カワシマのホームページへ戻る