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日本人とは何か

第56回 日韓漁業の歴史的比較の試み

東京財団政策研究所
上席研究員
小松正之
2019年3月11日

徴用工判決がもたらした混乱

韓国政府の海洋水産部訪問と会合を中止された。2018年10月30日の韓国最高裁(大陪審院)での徴用工をめぐる裁判での日本の企業敗訴の判決が出たので、少しでも日韓関係に影響があることは、避けたいとの思いのようであった。

訪問は純粋に水産の調査目的であり、日韓の政治問題とは全く無関係であった。また、2014年4月の300名の高校生が水死した「セウォル号」事件も尾を引き、海洋水産部の役人も何名かが辞職し、それもまだ収まっていない背景もあったようだ。

しかし、帰国後、すぐに海洋水産部と韓国海洋研究所らの若手が私を訪問し、日本の最近の水産事情について勉強するお手伝いをした。日韓関係も対話が原点である。今後共韓国とは政府も含めて、日韓相互利益のために尽力をしたい。

2018年10月31日からの韓国訪問は約9年ぶりで、国立研究所・機関、養殖業者、漁業団体並びに消費地・卸売市場及び済州島自治政府などを相手先とし2週間に亘った。また、2019年1月に釜山・釜慶大学教授から韓国の漁業制度と漁業権について学び、日本の漁業権制度と比較した。


朝鮮半島への日本漁民の進出

韓国と日本は日本海と東シナ海を挟み、多くの漁業資源を共有し、江戸時代以前から西日本の漁業者が出稼ぎ漁業をおこなった。

江戸時代の鎖国政策によって一時は衰退したが、密猟の形で継続した。江戸・明治時代の日本の漁業は漁業権制度のもとで拘束があり、新天地を求めて西日本の漁業者は朝鮮半島南部を中心とした朝鮮海域に出漁して、その漁獲物を国内に持ち込み、国内市場へ水産物を供給した。特に通常3日を要した運搬を1日で日本に運んだ林兼商店(現在のマルハニチロ)や日本水産はこの海域での漁業によって収益を上げて、資本を蓄積し、北洋漁業や南極海の捕鯨業に進出した。


韓国併合と明治漁業法の持ち込み

ところで、日本漁業の進出の後押しをしたのが1876年2月に調印された「日朝修好条約」である。ここから日本漁業の韓国への進出が本格的に始まる。1908年には旧明治漁業法(1901年法律)を基に、韓国は漁業法を制定した。これは日本の若い法学者がたった1年で書き上げたといわれた。韓国の漁業法制度を日本の内地の法制度と同内容とする動きは大日本帝国の韓国併合によって本格化する。明治漁業法(1910年法律)に倣い、1911年に漁業令が定められ、1929年に朝鮮漁業令と改正・改称された。


韓国独立と漁業法改正

日本は、1949年に漁業法に改正するが、朝鮮戦争での国内混乱で韓国の漁業法の改正・制定は1953年を待ったが、その大部分は朝鮮漁業令を残したままであった。一部は日本の改正漁業法(1949年法律)を参考とした。

サンフランシスコ講和条約が1952年に締結されると、日本漁船の活動を封じ込めていたマッカーサー・ラインの撤廃が決定され、日本漁船の進出を恐れた韓国は、4月の撤廃に先立ち1951年1月李承晩ラインを設定した。


日本から距離:韓国独自路線へ

このころ、韓国は、工業化と合わせて沿岸域の養殖漁業の振興を目指す漁業法の改正を1963年に行った。個人漁業者の養殖業への参入の奨励であった。その年、日本は漁業協同組合を中心とした養殖業の振興に走る。組合主義か個人主義かの分かれ道がここで明確化された。

韓国は1990年代に入り日本から距離を置く。1982年国連海洋法条約の成立と1994年の発効以降、日韓の政策と制度の差は次第に明らかとなる。これが顕著に現れるのは、漁業法制度とシステムの改革に対する姿勢である。韓国政府は、明治漁業法に根幹を置く漁業法では変化する国際・国内への対応が困難であるとの姿勢を明らかにし、国連海洋法の趣旨と目的を国内の諸制度に反映させようとした。その典型が1999年に日本に先駆けて、一人一人の漁業者に漁獲量を配分して、乱獲競争を廃絶し、資源の回復と経済的に利益の上がる体質の漁業を目指した「個別漁獲割り当て(IQ)制度」の導入である。韓国にも置いて行かれる。一体最近の日本と日本人はどうしたのであろうか。



韓国釜山のジャガルチ水産市場の貝類 2019年1月撮影


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