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日本人とは何か

第70回 さびれゆく港町

東京財団政策研究所
上席研究員
小松正之
2019年12月26日

港町の衰退

日本の港町は元気がなくさびれゆくところばかりである。魚が獲れない、水産加工場も倒産、流通・運搬業も活気がないのである。政府は、魚の管理を厳格にし、魚が獲れるように制度を外国のように改めることもしない。

ところが、今までは2000億円程度であったものを2020年度の水産予算は2年連続して3000億円を超えた。バラマキに近い。しかし、世界では「補助金が漁業をさらに悪く脆弱にする。」ことは定説である。年寄りが多くなった漁業者と漁協に配っている。お金をもらうと人は働かない。漁業の水揚の減少が止まないのである。

私は漁村の生まれと育ちである。子供の時から水産庁が沿岸漁業にきちんと対応していなかったとのその思いは今でも変わらない。海浜や磯にあった子供の遊び場や海水浴場を埋め立てや堤防工事で奪ってしまい、アワビやウニは手で何日もつかめるほどいたが、優良な漁場と生息場を大量に消失させた罪は深い。


港町の施設は大きくなる

11月下旬に、青森、八戸、盛岡、石巻と仙台を回った。その前にも札幌、大阪、函館、境港、静岡県大井川の港町、漁港と水産卸売市場を回った。

青森は、津軽藩のおひざ元で津軽の第2代藩主の津軽信枚公が市を催したことに端を発して北海道やロシアとの交易と輸入が始まり、戦前は鉄道輸送が盛んで、青森は東北本線と奥羽本線の2本の幹線の起点であり、流通の起点として栄えた。そして陸奥湾漁獲物の流通の出発点でもあった。

八戸は北洋漁業の基地として、最盛期には70万トン以上の漁獲量を一港で揚げた日本の有数の水産都市であったが、現在は北洋漁業やアルゼンチンなどイカ漁業からも締め出されて漁獲量がわずかに10万トンしかない。これで街が潤うはずがない。八戸は陸奥湊舘鼻、小中野と鮫の3大漁港が賑やかであったが大幅に縮小するとそれらの漁港が3つも必要でないのは明らかである。漁港を計画した折には栄えていても、着工する時点では漁業が縮小しているが、修正もせずに建設する。



八戸市鮫漁港に入港したまき網漁船 2019年11月26日6時 著者撮影


石巻も同様である。石巻漁港の水揚げ量は最盛期には45万トンが現在では10.7万トンで4分の1である。しかしながら震災後に建設した石巻魚市場は全長が876.25メートルにも及ぶ震災前の倍以上の規模である。震災の前後で比較すると4分の1の規模でよい。すなわち産地市場は必要な施設性で決定されることはなく、運営費や建設コストや水揚げに関係なく、ましてや一番大事な漁業資源の回復にはかかわりなく決定される。



石巻漁港に水揚げされた少ない魚 2019年11月28日著者撮影


施設は巨大になるが、漁業は衰退し後背地の水産加工業も流通業も衰退する。

本来、最も必要な対策は漁業の資源管理を徹底して水揚げ量を増大させることである。しかし、未だに漁協も、政治家も役人も漁業管理はおろそかにして、困ったら補助金を頂戴しようとする。


港町ブルースの函館と気仙沼の総崩れ

函館は8月にはイカがあがらず、冬に入ってもサケが回遊しない。閑古鳥が鳴いていると嘆いていた。北海道全域でサケが大きく減少した。三陸の岩手中心に前年の70%も減少した。気仙沼も6〜8月の最盛期に最も重要なカツオが水揚げされず、気仙沼魚市場を3日間も連続で休漁したという。その上サンマがほとんど水揚げされなかった。2018年のわずか30%しか獲れなかった。静岡の大井川や由比ではサクラエビがほぼ全く揚がらない。一時は8000トン(昭和40年代)もあった水揚げがたった100トン程度だ。

港町ブルースに歌われた港町は総崩れである。それでも、漁業者、漁協と卸売会社と国民や消費者からも水産庁や政治家がちゃんとしろ、外国に倣い資源回復の政策を明示しろとの声が上がらない。なんとも不思議な国である。漁連は政府からの補助金の獲得が仕事と化している。漁業者はお金をもらえれば真剣に漁業に出ようとしないし、将来のために資源の管理をしようとしない。「箱ものと補助金が栄えて港町は衰退した。」なんとも皮肉である。


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