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日本人とは何か

連載第82回 リチャード・コート駐日豪大使とご父君

一般社団法人生態系総合研究所
代表理事 小松正之
2020年9月28日

リチャード・コート大使との出会い

リチャード・コート大使はチャールズ・コート元西豪州首相の5人のお子さんの第4番目に生まれて、米企業勤務、ヨット他製造販売を経て、1982年ご父君の後を継いで、西豪州パース郊外の選挙区に立候補当選し西豪州下院議員となり、1993~2001年まで第26代西豪州首相を務めた。

リチャード・コート大使とは2018年からのお付き合いである。ご夫人とも日本食が大好きで、2018年の豊洲市場に移転の直前の築地市場にもご一緒した。

コート大使を築地大和寿司にご夫人共々お連れ申し上げたら、このようなおいしい寿司は食べたことがないと言われた。

大使は西豪州の漁業と政策に大変に詳しいことが伝わってきた。日本では遅れていたITQ(個別譲渡制漁獲割当制度)についても大変に詳しかった。「漁業者は収入を税務署から指摘されたほど」といい、私にぜひ西豪州の漁業と漁業・水産政策を視察するようにと勧めた。寿司を食べている最中に大使はしきりに「クジラの寿司が出てくるのでは」と、冗談半分に語られた。私は捕鯨の日本代表として豪州では大変に名前が響いていた。最近でこそ、捕鯨が豪州でも日本でもほとんど話題にならなくなった。日本は南極海捕鯨から2019年7月1日以来撤退し、小規模縮小し誰も話題にしなくなった。

私は2019年8月に西豪州パースに初めて足を踏み入れた。豪州は水産庁の役人時代から何度訪問したかは数知れない。それは国際交渉で首都のキャンベラと乗り継ぎのシドニーであった。


豪大使を陸前高田市へ

4月には豪グレートバリアリーフ海洋公園研究所の科学者を陸前高田市に呼び、その機会にコート大使には、陸前高田市を訪問して、東日本大震災被災者へのご献花と大震災後の復興状況と小生が実施中の「気仙川・広田湾の森川海のプロジェクト」をご視察いただく予定であったがコロナ禍で延期となった。

また、8月11日に再度コート大使の陸前高田市訪問を企画したが、岩手県で初のコロナ感染者が発生し東京での感染者数も増加、これも残念ながら取りやめとなった。

9月4日に私は、豪大使館に招かれた。私は陸前高田の酔仙酒造の「雪ん子」を持参し、豪州ワインと特産とともに味わった。この時も大使は「くじら」を食べさせられる危険性があると冗談を言われた。私はご父君が自伝中で「商業捕鯨モラトリアムには賛成せず持続的な捕鯨に賛成」と説明申し上げた。楽しくあっという間のひとときであった。



「雪ん子」を手に。リチャード・コート大使と筆者;9月4日駐日豪大使公邸)


「チャールズ・コート伝」

コート大使より、「チャールズ・コート伝」をいただいた。485ページ字(英文)にわたる大作で私が読み切れるかどうか不安に思っていたが、2月から本格的に読みだし、コロナ期間中に一気に読み4月19日に読み終えた。

同書は、リチャードのご祖父母が5歳のチャールズを引き連れて、イギリスの南部の街のクロ∸リーを発ち、ケープタウンに立ち寄り、そして、西豪州の首都パースに1912年の5月1日に到着したところから本格的にストーリーが開始する。決して豊かな家庭ではなく質素な家庭であった。チャールズは楽団に入りコルネットを吹奏した。「ブラス・ソロ・競争」で優勝した。この時の楽団の人脈が彼を助けた。両親が彼を大学にやれず、会計学を自身で習得し会計コンサルタント会社を設立した。共同出資者のCampbell Hendry氏の英語・文章の能力と言葉が伝える力に感嘆し、生涯にわたり英語の表現には磨きをかけた。第2次世界大戦に出征し、ブーゲンビルで任務にあたり、日本の8月15日の敗戦受け入れ後、投降した日本人捕虜と日本人の士官との信頼関係を築き、日本への捕虜の帰国に導いた。このことがチャールズ・コート首相の鉄鉱石・石炭輸出対日交渉などの原点となる。チャールズ・コート氏は、1946年に自由党に入党、1953年の選挙で立候補し初当選した。その後、産業・経済分野での手腕を発揮し、1974年から1982年の2期8年に第21代西豪州首相を務めた。

一方、戦後の日本の工業化・加工貿易での経済成長もチャールズ・コート西豪州首相の人的な信用と積極的な政治手腕によってもたらされたもので日本にとって忘れてはならない恩人である。(了)



ジャミエソン著「チャールズ・コート」左はRita夫人


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