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日本人とは何か

連載第90回 未来の宗教とは何か

一般社団法人生態系総合研究所
代表理事 小松正之
2021年5月27日

難解な「宗教に関する随筆」

「未来の宗教とは何か」(Roberto Mangabeira Unger著)を読んだ。私が2018年5月にエール大学神学部で「生きる価値のある人生」という特別講座の説明を聞いた折か、その後2019年5月に卒業35周年同窓会があった折にエール大学生協で購入した。コロナ時代に読み終わった。難解であったが2つ理由がある。



The Religion of the Future. Unger 著


一つには、私が本書に登場するキリスト教、ユダヤ教の一神教に関して、正確な理解力を持ち合わせていなかった。

もう一つの理由は内容が抽象的であった。これは多くの専門家もアンガーの論述に同様の指摘をしている。具体的な事例が少ない。


エール大学35周年の同窓会。同じ勉強グループメンバーと。2019年5月4日


死、生に根拠がない、満たされない欲求と落胆

本書は4つの前提から始まる。

第一に人間は必ず死ぬ。人間はいつ生まれて、死ぬのかを自分ではコントロールできない。人間の死に対する認識には楽観的で、死が決して自分には訪れないと考える。しかし死は必ず自分にも訪れる。著者のアンガーは「死が来ることを先延ばしにして、自分や社会の問題解決も先延ばしではなく、死を前提に、生きている間に、状況を改善に努めよ」と言う。

第2に人生に根拠はない。人間はなぜ生まれて、何のために生きるのか。自分自身の精神と肉体も自分自身がコントロールできないではないか。自分の容姿や体形でも、これは誰がそれを形造ったのか。

自分で自分自身を造ったわけではないが、神が造ったのか。それでは、神と人間である自分との関係はどうなっているのか。無関係なのか、自分は神の創造した一部なのか。人間は神とは何かをわかっているのか。理屈ではなく、神がこの世と人間を創造したかを「信じる」かである。

第3に人間の欲求は飽くことがない。死にたくない、あれこれしたい欲求は満たされない。第4に欲求は満たされずに人生は自分の期待感への落胆・裏切りで終わるという。


キリスト教と仏教・儒教社会の日本人

キリスト教は現世の改善、仏教は極楽浄土で来世での問題解決、儒教は中国の春秋時代にさらにさかのぼる古の堯・舜、文武周公の古の聖賢の政治を理想とした。このように、キリスト教、特にプロテスタントとは対照的な問題の解決への対応である。

仏教と儒教では、日本人は、現世の問題を私たちが生きているうちに解決することを放棄し、この世に期待しない、これを諦観と言う。自分が生きる世の中を良くするために制度と社会を改革しようとする人は少ない。一方、キリスト教プロテスタントは、マルチン・ルターやジョン・カルビンの宗教改革やガリレオ・ガリレイ、ダーウィンやニュートンの科学的展開やカント、ヘーゲルやマルクスらの哲学とともに今生きている時代を変えようとする。

アンバーは、キリスト教は現世との闘争の宗教という。現世・現在の制度、法律は、いつの世でも完璧なものはなく、必ずいつの時代でも不適合がある。それを修正し改革していくのが、一人ひとりの使命であり、それを実行することであると語る。


世界に依存、世界から遅れた日本

社会改革と制度の改革や組織の修正、改革の努力の過程で、経験も、知識も人脈もまた、そのことによる精神的な充実感も得られると主張している。

日本人は諦めて、自分さえよければよいとの人が、年々増えている。それで、コロナ対策のように国民も国家もむしろ、他人任せの無責任な世になってしまい、政府も地方自治体も医師会も国民もそれぞれの持ち分と責任と義務をもっと果たすべきである。そして台湾、韓国と中国にも遅れ、ましてや欧米にははるかに遅れ、ワクチン製造を米英に頼り切り、世界への依存と差が歴然とした。

自分の狭い範囲の責任に閉じこもる人と組織、あれもしない、これもできないという人と組織を、アンバーは、自身の手足をもぎ取る人に例え、新たな課題に挑戦しない、思考しない人の脳をミイラ化脳と例える。

死を真剣に考え、かえって今生きる「生」を誠実に考える。生きている現世を良くしないで何の人生で何のための政府と法律か。あの世での成仏と遥かなる古代を懐かしんで何の人生と社会か。「今を真剣に生きよ、努力せよ」と言っている、このことを「未来の宗教」といっている。今の日本に本当に良くあてはまる。(了)


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