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太平洋を取り巻く国々と私

第1回 太平洋と私

国際東アジア研究センター
客員主席研究員 小松正之
2014年8月23日
太平洋との縁

岩手県陸前高田市広田町に生まれた私は太平洋を見て育った。海水浴や釣りをした海が太平洋である。広田半島の突端に黒崎仙峡がある。広い太平洋が一望に見渡せる。視野の右から左まで、海が広がる。遠くを見ると右と左が下がり気味に見える。地球は丸い。

1982年7月に私はニューヨークに着いた。エール大学での1か月の夏季英語コースを終え、ロサンゼルスに行った。ロングビーチから太平洋を臨んだ。留学期間の2年間は日本に帰れなかった。米大陸から太平洋を臨んだとき、この先が日本かと思う望郷の念が湧いた。英語もできず、米国の習慣にも慣れず、何をどう買ったらよいかもわからなかった。本当に2年間無事に米国の大学院の勉強についていけるのかと不安であった。太平洋に癒しを求めた。

1984年6月家族で米国から帰途、ハワイでエルビス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」の舞台の「ハマウマ湾」に行った。私はきれいな湾を泳ぎ出した。たくさんの熱帯魚が泳いでいた。米カンザス州から来た若い女性が、水中メガネを貸してくれた。よく海の中が良く見えた。娘と海岸から私を見る家内の視線を感じた。


南太平洋とグレート・バリア・リーフ

2012年1月に世界一の巨大な珊瑚礁がある豪東海岸のグレート・バリア・リーフに行った。海洋保護と陸地の産業活動との関係を調べるためである。この珊瑚礁は長さが2600キロ以上に及び約3000キロの日本列島に匹敵する。この珊瑚礁には日本人の新婚旅行でも人気のハミルトン島がある。一人で出かける人は少ない。私はグラスファイバー船で海に出てサンゴの観察をしたが、色彩の綺麗な宝石サンゴはなく塊のような礁石サンゴである。帰りの飛行機に乗り込むとき、搭乗券をチェックする地上職員が乗り継ぎ切符を含め2枚の搭乗券を持っていた私に「あなたの奥さんはどこにいる」と訊いた。冗談だった。


太平洋の真ん中は凪

今年7月ミクロネシア連邦の首都ポンペイ島(北緯約10度東経約160度)に行った。1920年から1945年までは日本の委任統治領(南洋庁はパラオに置かれた)であった。旧軍のソケス・リッジ砲台跡(写真)や900年から400年前まで続いた王朝の巨大な石のナンマドール遺跡を訪ねた。日本人はこの島では今も信頼される。農業の技術などを教えた戦前からの遺産であろう。島から見る太平洋は本当に波ひとつない大海原であった。太平洋の真ん中で、大型巻き網漁船が運搬船にカツオを転載する。風雨や波浪の遮蔽物もなく転載ができる。不思議である。


海洋国家日本をめざせ

1854年日米和親条約によって、日本はシーレーンを米国西海岸から中国まで造り上げようとした米国に開国させられた。その後明治維新を迎え、海軍力と遠洋漁業の振興を図って、海洋国家に躍り出た。1840年の英清間のアヘン戦争と英とニュージーランドのマオリのワイタンギ条約の締結から始まる太平洋にシーレーンをつくった英国に助けられ日本は日露戦争に勝利した。第一次世界大戦後ドイツ領だったミクロネシアを委任統治領とした。沖縄のカツオ漁業が展開し、サトウキビやコメの栽培を現地民に教え日本人の入植者でにぎわった。海軍の基地もできた。現在ミクロネシアは米、メラネシアは豪、ポリネシアは仏とニュージーランドが影響力を行使する。グアムとハワイは米国領である。

最近では、中國の進出が著しい。日本は戦後マッカーサーラインとサンフランシスコ講和条約で日本列島に封じ込められて以来、遠洋漁船と捕鯨船の海外展開の時代を除き年々太平洋から目をそむけ、あまり関心も持たない。最近では南氷洋捕鯨すら恥ずかしい国際裁判の結果をそのまま受け、撤退しようする。矜持と自信を持ち太平洋に目を向けたい。


2014年7月ミクロネシアのポンペイ島ソケス・リッジの旧日本軍砲台と筆者

(写真:2014年7月ミクロネシアのポンペイ島ソケス・リッジの旧日本軍砲台と筆者)


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