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太平洋を取り巻く国々と私

第14回 ニュージーランドは誰が発見したか

アジア成長研究所
客員主席研究員 小松正之
2015年3月21日
親日国ニュージーランド

2014年6月ニュージーランドを訪問した。第一次産業省との協議のためである。ニュージーランドから水産資源の管理で教えてもらうことが頻繁である。もともと、同国との付き合いは国際捕鯨委員会(IWC)での対立で、同国は豪州と並んで、強硬な反捕鯨国であった。IWCの代表者も元政党首とか現職の環境大臣の大物政治家が主席した。それでも私には親切に新しい水産政策を教えてくれた。前駐日大使イワン・ケネデイ―氏から大変に親切にしていただいた。


ポリネシアとメラネシアからの移住

ニュージーランドに最初にどこから誰が居住したかは謎である。南半球は、北半球に住む欧州人にとっても未知である。はるか昔、ゴンドワナ大陸があり、その一部が分裂して、豪大陸、南米大陸やニュージーランドとなったとされる。欧州人は、北半球の陸地の多さに比肩する大陸が南半球にも存在すると推測し、その大陸は「未知の南の大陸」(Terra Australis Incognita)で、その一部を現在のニュージーランドも形成していると考えた。ニュージーランドとは新しい「ジーランド」という意味で、ジーランドとはオランダの一部の州で、ホランド州の隣にジーランド州がある。西洋人としてはオランダ人のアビル・タスマンがニュージーランドを最初に発見した。彼は、現在のジャカルタであるバダビアに根拠を置いたオランダの東インド会社の一員として、豪大陸の東側とトーレス海峡などを探索し、タスマニア島も発見した。そのタスマンが1642~3年の夏にニュージーランドの南島を訪れる。彼はそこを生涯南アメリカの西海岸のチリの一部と考えた。すでに、先住民が居住しており、タスマンは先住民からの攻撃を受けて、乗組員が幾人か殺害された。彼はそこを殺戮者の湾と呼び、現在はゴールデン湾と名付けられた。そして悪印象を持ったタスマンはニュージーランドから退散した。このタスマンの印象が当時の欧州人の印象を決めて、この地に新たな欧州人が到達するまでには126年を要した。


最初の発見者と居住者は誰か

欧州から見た最初の発見者と真の発見者や居住者は全く異なるのが、歴史の常識である。ニュージーランドもポリネシアとメラネシアから多くの人々が海を渡って、住み着いたとみられる。それが何時ごろかははっきりしない。少なくとも欧州人がやってくる数百年前とみられる。その当時のニュージーランドは豊かで多様性のある生物層に恵まれていた。MOAと呼ばれる巨大な鳥はすぐに人間の食料となった。キューウイ鳥も絶滅してしまった。カヌーで近隣の島々から渡ってきた人間は同時に、ネズミや犬を運んできた。これらの動物が野生動植物を食い荒らした。


キャプテンクックの発見

タスマンの到達から126年後1769年、英国のジェイムス・クックがタヒチ島での太陽の表面を通過する金星の観測を終え、秘密の目的である「Terra Australis Incognita」の発見、すなわち、タスマンが発見した大陸の東側の探索に載りだした。きわめて精力的であった。壊血病に有効な食料を積み込み、経度計を搭載し自在に航海が可能であった。クックは其れまで未知であった豪州の東海岸を発見し、豪州の英国の植民地化も積極的にアドバイスをしている。ニュージーランドにはタヒチ人で英語も現地マオリ語もわかる人間を搭乗させ、このことが有効に作用した。クック艦隊は最初小競り合いで先住民を殺害したが、クックは終始平和主義で彼等に対応した。だから先住民からも尊敬された。そしてタスマンがなしえなかった上陸を果し、先住民とも対話し交易もした。欧州人がニュージーランドに居住する足がかりを作り出したのであった。木材や亜麻、アザラシや鯨も豊富であった。ジャガイモもあった。白人が押し寄せる。彼ら白人は「パケハ」(Pakeha)と呼ばれる。多くの場所にクックの名前が冠せられた。クック山やクック海峡(写真)である。


クック海峡を望む首都ウェリントンの市街

写真 クック海峡を望む首都ウェリントンの市街 2014年6月著者撮影


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