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太平洋を取り巻く国々と私

第19回 アリューシャン列島:ダッチハーバー訪問

アジア成長研究所
客員主席研究員 小松正之
2015年6月15日
サケマス交渉と米政府の対応

1980年代後半まで日本はアリューシャン諸島の米200カイリ内での母船式サケマス漁業の操業の許可を米国政府から得ていた。ここでのイシイルカとオットセイの混獲許可証の取得が母船式操業には、必須の条件であった。思えば、日本船の操業を維持することは大変な困難と努力が必要であった。

1986年6月1日、私が水産庁の国際課で日米さけます交渉の責任者であった時、アリューシャン諸島の米200カイリ水域に向け、函館から許可証を持たずニチロ漁業、大洋漁業と日本水産の母船式さけ・ます船団は出航した。ひやひやものの交渉であった。米200カイリに日本の船団が入域する6月10日までに許可証を出してもらう交渉だった。しかし、突然に10日には間に合わないと米政府のNOAAのビーズリー国際部長が言い出した。私は、冷静でありつつも、秘めた憤りを前面に出しつつ「日本のさけ・ます船団はすでに函館を出航して、アリューシャン諸島に向かっている。許可を出すことを米国は約束済みである。責任を果たせ。」と激しく詰問した。翌日NOAAはコーストガード航空機で直接日本の各母船に許可証を届けてくれた。誠意ある対応である。


原点は日米漁業交渉と日米加国際交渉

1985年日米の民間漁業交渉で米水産業界からダッチハーバーでの水産加工場への投資を条件づけられた。そして、その年日水とマルハ水産加工場の建設を決定した。それらの工場が出来る前ダッチハーバーがあるウナラスカ島は人口3000人の町だったが、現在(2012年10月)は4768人に増大した。夏場には加工場の労働者が5000人程度増加する。

アリエスカがマルハの第1工場として完成。ウエスト・ワーズが第2工場として少し離れた場所に完成した。日水は別の場所に第1工場と第2工場を建設した。これらの工場はスケトウダラの基地式操業の受け皿であり、タラバカニなどの加工場である。

ウナラスカ島は道路、学校、水道・病院などのインフラも整備されている。

米政府は毎年科学的根拠に基づきそれ以下に総漁獲量(TAC)と個別譲渡性漁獲量(ITQ)を決定しているため、安定した税収が見込め市財政も中長期的に展望できる。新しい資源の管理で、漁業が元気であり、日本とは大違いである。

1995年アラスカ沖は、カナダと国際管理のオヒョウとギンダラにITQを最初に導入し成功をおさめITQは1998年のスケトウダラや2005年のタラバガニとズワイガニと続く。

1998年には外国からの漁船の移入の禁止と米国スケトウダラ漁業の合理的な操業の振興を目的とした米漁業振興法(AFA)が成立した。外国資本は25%以下の出資に制限され、ITQを共有する協同漁業方式の操業が導入された。

漁場はベーリング海で(1)スケトウダラを漁獲し陸上基地で加工するキャッチャー操業(写真)、(2)母船とキャッチャーが付随する母船式操業と(3)洋上工船が全てを加工する3つの種類から成り立っている。


リーダーの考えで日本との大きな違い

ITQの導入でマーケットの安定性は大きく向上した、他のプロダクトの間で差別化が可能である。また、資源の乱獲競争と加工業者と漁業者の対立もなくなった。早く獲り、早く水揚(deliver)することがなくなった。製品の品質向上にエネルギーを費やす。

ITQは漁業管理上の不確実性を小さくし、関係者が正しい意志決定を行うことができる。漁業者の収入も増大したが、船長や技術職の労働者は同じ水準の給料であれば陸上で働きたいとの願望も強く、年々漁業従事者の数が減少しているのが、悩みである。

しかし、このような成功の事例から、日本は学ぼうとしない。漁業者と漁協に補助金を配る。その場しのぎの問題先送りを戦後70年も続け、日本漁業は瀕死の重体で、ダッチ・ハーバーは漁業・水産加工業と関連産業で栄えている。リーダーの対応一つでこうも違う。


首都ウェリントン市の夜景

写真 ダッチハーバーに停泊中の米トロール漁船;著者撮影2010年11月


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