保険、一歩ずつ

「リスク区分」とは何か

 前回、保険種類と保険種目が損保事業の「共通化・標準化」の基本であることを述べた。今回は、さらに掘り下げて「リスク区分」について考えてみたい。

 保険は、大数の法則を成立させるためにリスクを一定程度均質化することが必要となる。このために、保険種類と保険種目が存在する。そして、一つの保険種目の中にリスク区分が設けられる。いうまでもなく、保険料を計算する際の基礎となるのが「リスク区分」である。これが設けられることによって、同じ種目であっても、リスクによって異なる料率が適用されることになる。
 「リスク区分」をどう設定するかは、実は重要な問題である。自賠責保険にみられるような大括りのリスク区分がある一方で、保険自由化以降の自動車保険がリスク細分型自動車保険といわれるように、リスク区分を細かく設定する場合もある。

 保険事業には「公共性」があるといわれるが、理由の一つに、ユニバーサルサービスの考え方が取り入れられていることがある。ユニバーサルサービスとは、全国民が安定的かつ公平に利用できるよう設計されたサービスのことで、郵便、通信、電気、ガス、水道などが代表的なものだ。どこでも(地理的)、誰でも(社会的)、負担可能な料金で(経済的)、均一のサービス(技術的)が受けられるという4条件が必要とされる。かつての規制時代、損害保険は、このユニバーサルサービスの考え方に基づいてリスク区分が設定されることが多々あった。

 AとBの二つのリスクがあり、リスクの量はAが100、Bが50としよう。リスク区分をそれぞれ別個に設定すれば、Aの料率は100、Bの料率は50になる。しかし、AとBの間にリスク区分を設定せずにまとめて一つの区分とした場合、保険料は平均値である75になる。これの意味するところは、「Aは保険料が25だけ安くなって保険に入りやすくなる一方で、BはAのために25多く保険料を支払うことになる。」ということである。郵便料金を思い出すと分かりやすいが、隣の家に出すのも、遠く離れた離島に出すのも同じ80円である。これこそがユニバーサルサービスを支える相互扶助の考え方である。
 これが成り立つための条件は、全ての保険会社がリスクの選択をせずに、AとBの両方に属する集団の全ての契約を75の保険料で引き受けるよう、行政当局が規制によって強制することである。強制保険であり、かつ保険会社にとってはノーロスノープロフィットの制度である自賠責保険が、まさにこれに該当する保険であることは言うまでもないだろう。

 規制がない自由な引受けの状態において先ほどの例を想像してみよう。もしも、ある会社がAについて引受拒否し、Bだけを引き受ければ、リスク量が50であるBを75で引き受けるわけだから25の利得が生まれる。さらにある会社がBのみに引き受けを限定した上で保険料を75から70に引き下げれば、その会社は、他の会社の保険料である75に対して差の5の分だけ保険料を割引くことで価格競争力を持つ。しかもそれだけではなく、本来のリスク量は50であるから、保険料を割引いた70であっても20の利得を手にすることができる。
 そのようなことを許していては、ユニバーサルサービスによる相互扶助が実現しないことは明らかである。保険自由化以前は、任意の自動車保険について行政がリスク区分と保険料率を厳格に規制していたが、これは自賠責保険だけではなく任意の自動車保険においてもユニバーサルサービスの考え方が準用されていたからである。昭和40年代、リザルト悪化によって保険会社が任意自動車保険の引受け拒否を行ったことに対し国会で問題となったことがあったが、これはこうしたことが背景にあったから生じた出来事なのである。

 1990年代後半以降、料率自由化の進展の中でリスク細分型自動車保険が華々しく登場した。料率の規制は、数字として算出される料率とともに、リスク区分の切り方についての規制が一体になって行われることで効力を発揮する。行政による規制が緩和される自由化の中でリスクの細分化が進行したのは必然のことであった。料率の自由化は、リスク区分設定の自由化と一体的に進んでいくのである。自由化以降の料率において、今や、ユニバーサルサービスという公共的、相互扶助的な考え方は、自賠責保険や地震保険のような厳格な規制が存在する世界にしか見出すことができないという事実をしっかり認識することが必要である。

 ところで・・・・・、ということであれば、リスク区分の設定には、「共通化・標準化」はあり得ないということになるのであろうか・・・・・?

(文責個人)

日本損害保険協会 常務理事 栗山泰史