地震保険を語る

(第四回)地震保険なんて役に立たない?


 岩手県宮古市田老町、長さが2千メートルを超え、高さが10メートルの日本一の堤防を築いていたことで有名になった町だ。「築いていた」と過去形で書かねばならないことが、心の底から悔しい・・・・。東日本大震災による巨大津波はこの堤防を軽々と乗り越え、町に甚大な被害をもたらした。
 同じ宮古市重茂の姉吉地区、明治、昭和の二度の津波で壊滅的被害を受けたこの地区には漁港から続く急坂に石碑が立つ。「高き住居は児孫の和楽 / 想え惨禍の大津波 / 此処より下に家を建てるな(以下、略)」、1933年に建てられたこの石碑が地区住民を今回の津波から守ることになった。
 どちらが優れていたかを論じるつもりは毛頭ない。いずれも、人がこの世に示す存在の証だ。科学技術を駆使して人は自然に挑戦し、それがもたらす様々な脅威を克服してきた。そしてその一方で、自然との調和を図るために長い時間をかけて多くの知恵を残してきた。まるで、矛と盾のように、どちらもが人を守るための大切な努力の現われである。
 地震保険という制度もまた、地震という自然がもたらす脅威に対する人としての営みの形である。「地震など滅多に来ることはない」「火災保険と違って建物の全額は出ない」「保険料が高すぎる」「地震のときは保険会社も経営が危なくなって支払えない」「損害査定のトラブルが多い」「地震がなければ全部が保険会社の儲けになる」などなど・・・、地震保険への疑問や批判の声は数多くある。
 地震保険は本当に役に立たないのだろうか。1966年(昭和41年)に誕生して以来、東日本大震災が発生するまで、正直に言えば、この保険が大きな注目を集めることはなかった。阪神淡路大震災の時でさえ、783億円の保険金支払いであったものが、東日本大震災では1兆2千億円を超える支払いとなり、世の中から、高い評価を得ることができた。この背景には何があるのだろうか。(文責個人)

日本損害保険協会 常務理事 栗山泰史