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日本人とは何か

第3回 日本人の弱点(その3)

公益財団法人東京財団
上席研究員
小松正之
2016年1月7日

偉人伝は人生論の宝庫

私が子どもの頃は偉人とされる人の伝記をよく読んだものだ。野口英世、湯川秀樹、松下幸之助、シュヴァイツァー、ワシントン、ガンジーなど枚挙にいとまがない。将来、自分もそんな人間になりたいと思った。

大人になってから読む偉人伝は、自分が窮地や岐路に立ったときに、あの人ならどんな選択をするだろうかと考えるヒントになる。私たち一人ひとりは違う状況に置かれているが、人生の基本構造は時代と国境を越えて共通しているからだろう。偉人伝には学ぶことが多い。

私が政策研究大学院大学で教えていた留学生のなかでも優秀な連中は、「世のため人のために貢献したい」という目的意識がはっきりしていた。目的意識をはっきり自覚できる状況におかれているのは幸運なことだ。終戦直後の、日本の国家公務員が廃墟になった国を復興させなければならないという思いに通じるところがある。

アジア各国の国家公務員でもある留学生たちに共通しているのは、伝記をしっかり学んでいることだ。自国の偉人だけでなく、他国の偉人についても学んでいる。伝記は、実在の人物の生き方や苦労話、その業績について議論し、研究し、学ぶことができる格好の素材だ。


平穏ではない偉人の生き方

私たち自身は、そういう偉人たちの人生を生きられなくても、困難をどう乗り越えたか、どのようにして業績を成し遂げたかを知ることは大事だ。偉人たちはけっして幸福な人生ではない。最後は殺されたり、家庭的にも恵まれなかったりしている。平凡に暮らして死ぬ人生も簡単ではない。偉人たちは社会や国家に貢献したという自らの心の満足感が得られたのではないか。それが何物にも代えがたかった心の財産ではないか。

私も二宮尊徳、和井内貞行などを学校の教科書で知ったが、いまの教科書に偉人伝がどれほど載っているのだろうか。偉人は困難に直面し、苦労を重ねた末に志を果たしている。

しかし、マハトマ・ガンジー、ジョン・F・ケネディ、マーティン・ルーサー・キング・Jrとネルソン・マンデラでも、危険な目にあったり、亡くなったり、家族と別れたりしている。世のため人のために生きると、平穏な晩年がほど遠くなるようにも思える。

世の中に奉仕することは、自分の家族との関係でも考えさせられることが多い。マーティン・ルーサー・キング・Jrは家族の結束を大事にしたと思うが、家族に対する外からの物理的な危険が増した。


日本にも多くの偉人

日本にも歴史の試練のときに自分も家族もなげうった人がいたから、今の日本があるのだ。明治維新で高野長英、吉田松陰、坂本竜馬、大久保利通といった偉人がいったい何人が殺されたことか。名もない人物を加えると無数の人物の死が基礎にあって現在の私たちの社会がある

イタリアでは19世紀後半のイタリア統一運動の立役者の名前はローマの広場、道路、モニュメントなど至るとことに名前が残されている。アメリカは、国家に貢献した人たちの名前を空港や大学の名前として残している。これで業績のある歴史上の人物に感謝する気持ちを高める。戦後も日本復興を目指して新幹線工事やダム工事に携わって命を落とした人は少なくない。そうした自己犠牲をいとわなかった人について学ぶ必要がある。


日本の若者よ。偉人伝に学べ

途上国の学生は、マハティールやマンデラ、ガンジーなどの伝記を読んだり、先進国のサッチャーについて調べたり、人物論を熱心に勉強している。東欧のハンガリーやチェコ、ポーランドでも自国の偉人について勉強しているが、今の日本の若者も、日本の偉人を何人か、世界の偉人を何人か選んで伝記を読んでおく必要がある。ハッピーエンドよりむしろ厳しい末路をたどった人が多く、自分が何事かを成し遂げたかったら、リスクを覚悟する生き方が必要なのだ。一般の平凡な人々が、平和な死に方をしているのであろうか。ごたごたと困難や不幸は誰にでもついてくる。



マハトマ・ガンジー(1869~1948年)
インドの独立指導者


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