日本人とは何か
第4回 日本人の弱点(その4)
上席研究員
小松正之
2016年2月22日
外国と日本の差が拡大
2015年の9月から2016年に入り、海外に出張する機会が多かった。ノルウェー、オランダ、スペインのガリシア地方と米加の東西の海岸である。多くに人に会った。その間、日本の国内でも陸前高田市(写真)をはじめ多くの地方を訪れた。世界と日本を見て、印象深いのは、世界には新しい事業や行動を起こそうとしている人が多いことである。そして、それらの人々の顔と生きる姿勢が生き生きとしていることだ。ところが一方、日本では閉塞感が強い。ある町では田舎なので、自由にものを言える雰囲気がなく、一人一人が悶々としている。街の有力者に抵抗すれば、締め付けが待っている。地方都市では、狭い風土では限界で誰かが中央から変えてくれないかという。
リーダーに欠かせないビジョンと実行力
リーダーシップは、世のため人のための貢献であり、社会を変革するための努力であり、その努力を行使すれば、いろいろの危険が伴う。リーダーシップの発揮は既得権を失わせることになったり、慣れない新しいことを行うので、多くの人にとって、面倒臭く、自分が付いて行けず社会から脱落する恐怖があり反対する。
日本人には一般にリーダーシップとは何か理解が不足する。単に上に立つものがリーダーであると曲解している。しかし、外国人の教養人はリーダーとはビジョンを持ち、行動する人であることを理解している。日本人は自分が行動することでリスクと危険を冒したくない。そして、何も言わず、行動せずにじり貧で、たとえば事業も倒産する。これが現在の日本に多くみられる。行動しないことにリスクや危険がないのではなく、行動しないリスクは大きい。東日本震災地ではリスクを回避する多くの補助金をもらっている。TPPでも農林水産業は影響の回避の補助金が地方の懐に入る。これは、将来の農林水産業の芽を摘み、更に衰退をもたらすものだと過去の輸入自由化の補助金の結果と農林水産業の衰退の現状を見れば類推される。
結局は補助金の要求も、それを配る政治家も大なり小なり公共に属している富を自分たちの周りの選挙民に占有することにほかなない。日本人はそういう人をリーダーと呼ぶ間違いを犯している。
リーダーとマネージャーは違う
ところで、組織には決められた組織規定があり、その組織規定に基づいて行動してなくてはならない。計画通り実行できる人を優れたマネージャーと呼び、それを実践することをマネジメントという。マネージャーのように決まったことをやるタイプがリーダーになり得るかというと、はなはだ疑問だ。というのは、世の中は常に変遷している。技術革新や環境の変化、女性の社会進出、国際情勢が変化するといった中で、それらの変化に対して、会社なり組織がきちんと対応しなければならないとしたら、今ある組織規定は使いものにならない。必ずそこから逸脱せざるを得ない。
出る杭になる
リーダーシップを発揮することは、今の法律や組織規定を確実に超える。そうしないと新しい法律や組織規定や方針が生まれない。だから必ず現状の肯定派や満足派から「そんなことをやっていいのか」「そんなことはやめろ」という声が出る。
リーダーシップとは、政治学者でニクソン政権とフォード政権で大統領補佐官や国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーが「一人から始まる」といっている。
リーダーシップを発揮しようとする人物は突出するが、それを生かせるか否かが企業存続や社会がより良いところになるか、子孫に顔向けのできる社会を残せるのかの境目になる。私達が、他人が何かをやってくれることを期待するのではなく、多少のリスクを恐れず、自分のできることを実行し、実現の努力をすることで、地方も日本もよくなるのであると思う。自分が少しでも「出る杭になる」ことであろう。少数でもビジョン、見識と情熱を持った一人一人の力は大きい。