日本人とは何か
第10回 世界遺産マテーラの石住居と親切
上席研究員
小松正之
2016年6月23日
親切な街マテーラへ
3月、アマルフィー中心部の海岸から、東のサレルノ方面に向かって、狭い海岸線の道22キロを1時間以上かけて、イタリア人のせっかちな車に追い越させながら、ゆっくり運転した。この方面に走る運転は海岸絶壁寄りに運転席が移動して、対向車とすれ違うときはとても気持ちが悪くなった。サレルノの高速の入り口で大変な渋滞だった。A3号線はローマからイタリア半島の南部レッジオ・カラブリアまで伸びている。途中からバジリカ州の州都ポテンザ(Potenza)まで順調に走り、途中で眠気覚ましにコーヒーとカプチーノを飲み、ガソリンを入れ、その日16時ごろにマテラの中心街に入った。
中心街(Centro)はいつも問題で、一方通行と通行止めでナビが機能しない。街の広場(Piazza)まできて、道を聞くしかないと思い、運よくそこにいた駐車集金係りの女性警官に道を聞き案内をお願いしたところ、女性警官は送って行ってくれるといい、本当に幸運だった。ところが突然駐車場探しの男が私に道の説明を始め、簡単に行けると言い出したので、「知らないものに説明は無意味である」と強く言い返し、警官がようやく私達を町の中心の教会(Duomo)広場まで案内してくれた。案内がなければ狭い道を宿泊するホテルまで到底行けるものではなかった。Palazzo Gattiniというホテルだった。
世界遺産の石住宅
若い御嬢が受付で、親切に対応してくれて、部屋への前に、屋上のガーデン・テラスに案内されそこから、絶景パノラマが広がった。原始・紀元前からのSassi(洞穴住居)とその右に渓谷をはさんで、2つのSassiがあった。Sassi Barisano(密集した石造り住居)とSassi Caveoso(古い広がりの石造り住居)とに分かれる。どちらも15〜16世紀からつくられたもので、どちらが古いかが不明だそうである。
夕方は近くのレストラン「La Gatta Buia(黒い雌猫)」で食事をした。隣のイタリア人の2組の老夫婦と話が始まり、彼らは「どうしてあなたはイタリア語が上手いのか」と聞く。日本人がイタリア語を流暢に話すのはとても驚きなのだろう。1988〜91年までローマの日本大使館に勤務したことを告げた。私は彼らがマテーラの地元人と思っていたら、トリノから来て、約1週間の休暇を楽しんでいるとのこと。私は南イタリアを褒めていたので、多少気まずい思いになったが、結局は楽しいひと時であった。
翌朝は、食事にゆっくりと出掛け、ホテルで出たフォッカチアが美味しいので、ウェートレスとフロントで聞き、Piazza Vittorio Veneto のパン屋「Case del Pane」でそのフォッカチアを購入した。
そのまま散歩を続けていたら、Sassiの見える渓谷に出た。そこでまず、Sassi Barisanoの住居群を潜り抜けて、渓谷に達し桜の花を見つけ、そこから、原始・紀元前頃の洞穴のSassi(石造り住居:洞穴)を眺めた。その後しばらく歩いて、Sassi Caveosoの付近でイタリア人年配者に聞いたところ、BarisanoもCaveosoもどちらが古いとも両説がある。Barisanoが建て方が密集系で、Caveosoが開放系であるとの由。一見するとBarisanoの方が新しく見えるが、どちらにも人は住んでいるし、ホテルやレストランにも改造されている。
イタリア人と日本人の親切心
帰り道が分からなくなり、ご婦人3人組に道を聞くとそのうち2人が付いてきて教えると言う。そこでAnnaというご婦人が、Gattiniホテルもいいが、自分の娘がホテルを経営していると言い、道すがらの教会や地下に通じるSassiなどを教えてくれ本当に親切だった。
世界では、日本人はその親切振りで大変に有名であるが、イタリア人の親切心は、とことん心の底まで親切である。日本人にしろ、イタリア人にしろ、親切心で、世界から評価され感謝されるのは、とても得難い財産である。私達は、日本人の親切心に感謝すべきであるとイタリアで深く思ったのである。