日本人とは何か
第11回 アイスランド旋風と日本の弱さ
上席研究員
小松正之
2016年7月7日
サッカーのアイスランド旋風
サッカーの欧州選手権でのアイスランド旋風も7月3日ベスト4を賭けたフランスに5対2で敗れて終了した。ベスト8であった。イングランドを撃破した試合は、アイスランド中を興奮と熱狂に包んだ。これは、アイスランドが冬でもできる練習場の整備したほかに、スェーデン人のラス・ラガーバック監督の選手の訓練と活用の主導性が大きい。一人の指導者が多くの人間を生き生きさせる手本である。
アイスランドとは
アイスランドは大西洋のノルウェーとグリーンランド間に浮かぶ日本の約3分の1の大きさの島で、人口が約33万人の漁業が盛んな国である。
ノルウェー王国の課税を逃れるため、その豊かな漁業資源に魅せられて、ノルウェーの諸侯が入植したのが870年ごろと言われる。このバイキングの祖先は、自分たちが捕虜にしたアイルランドから奴隷を連れてきて、最初に入植したのでウェストマン諸島と言われる。ウェストマンとはノルウェーから見たアイルランド人のことである。しかし、ノルウェー人はもっと豊かな土地を探して、火山の温めた湯気の棚引く、土地に住み着くことにしたが、其処をレイキャビックといった。煙(Reykja)と湾(Vik)という意味で現在の首都である。
ウェストマン島に行く
6月23日にウェストマン島に長年の友人でアイスランド第一の水産会社のロフトソン会長の案内で初めて訪れた。
1973年1月に島の火山が爆発し島の約20%の住居が溶岩にうずまり、20%の面積が新たに追加された。現在でも土地を20〜30センチ掘れば、温かいので、爆発の危険性といつも隣り合わせで、住民は生活している。
漁業資源の宝庫で、小型の漁船で漁獲をしていたが、動力船への改造が1930年頃に行われてから、飛躍的に漁獲が上昇した。しかし、漁獲競争がたたり、この海域を含むアイスランドの漁業資源が悪化して、更には戦後其れまでイギリスに漁獲物を販売していたのが、英国漁業者も漁業を開始して、この島の漁業者はマーケットまで失った。
200名以上の漁業者の中で105名の漁業者が出資して現在のVSV社をつくった。中心的役割を果たしたのが5名の漁業者で、協同して漁獲しマーケットの開拓する会社を作り上げた。日本なら、漁業者は政府主導で漁業協同組合をつくり、補助金を出してもらう救済をお願いするだろう。自立心の差か。
VSV社の復活と日本漁村の衰退
1970年代アイスランドの漁業資源の悪化が著しく、放置すれば、崩壊の一途であり、冬場は競って操業していたが、6月以降9月頃までは漁獲するものがない状況が続き、それでも漁業者は乗組員に給料を支払わなければならなかった。本当に苦しい時代であった。アイスランド政府はITQの導入を決定し1980年にこれを導入した。漁業者の大きな反対はなく、何もしなければ、倒産と廃業に追い込まれることが分かっていたので、ITQは導入された。大きな要素としては、補助金が一切使われていないせいであろう。
1984年にはそれでも新制度の下で約70人が漁業をやめなければならなかった。漁業者は政府から一切の補助金をもらっていない。廃業する人のITQを残存者が自らの資金で買い取って蓄積した。救世主は、1993年と1994年のシシャモ漁業であった。この年に、日本の水産会社のマルハなどが来て、シシャモのメスを日本市場向けに買い付けた。これまで、個々の漁業者には資産の評価額を上回る借金があった。本当に日本の会社には感謝した。
日本では、漁業は大手漁業会社が来ると、もうけがなくなると勝手に出ていくと言って、その投資を拒否して、その代わり、補助金をもらい、漁協の安泰を図る。結果、資源と産業は衰退し、若者は見捨てて、その地域からいなくなる。