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日本人とは何か

第20回 豊洲新市場に見る情報発信の重要性

公益財団法人東京財団
上席研究員
小松正之
2016年12月28日

日本人に築地・豊洲への基本理解が不足

水産業の衰退に対し、水産行政が無為のまま時間をだらだら過ごし、漁業者からの不満に対しては補助金で何とかごまかし、基本的な漁業の法制度の改革をしないことに対して警鐘を初めて鳴らした書籍「これから食えなくなる魚」(幻冬舎新書)を出版したのが2007年5月であった。当時はとてもセンセショナル(衝撃的)な出版物であった。その時の編集担当者から、次は2年後に「「築地」を取り上げて書いていただけませんか」とお願いされた。築地は奥が深そうで、しかし体系的な書物がないので、書きたい気持ちは大いにあったが、まだ知識と経験が不足し、時期尚早と判断したが、気持ちの中に引っかかっていた。

その後「日本の食卓から魚が消える日」(日本経済新聞社)(2010年)の中で初めて流通や築地市場と豊洲新市場へ移転に、「東京湾再生計画」(雄山閣)(2010年)で外国市場との比較に触れた。

私は農林水産省の役人時代から、築地市場にはよく通う。今は尚更、足しげく通う。視察と関係者との意見交換と教えを乞うためである。今は年に30回以上も通うし、築地の隅々まで見て漸く質問ができるようになったことは、私に築地市場や生鮮食品流通について、知識と経験が蓄積されてきたことを意味する。

ところで、私が水産庁課長や国際交渉担当参事官の時代に、部下とともに築地市場の視察に出かけたが、彼らは築地市場の視察は一度で結構と言った。私には春夏秋冬そして日々顔が異なる築地市場がとても魅力的で何度通っても苦ではなく、むしろ多大な至福であった。その思いは今でも変わらない。


基本的で大局的な書物不足の日本

その後、築地に関する書物も読み、日本橋市場以来の「魚河岸」の歴史にも踏み込んだ。そして、東京湾すなわち江戸内湾漁業にも触れざるを得なかった。「江戸前とは何か」である。このシンプルで奥の深い質問にも答えてくれる書物もなかった。だから「江戸前の定義」も自分で追及し、江戸前の食文化と東京湾の再生の道筋の本も自分で執筆(共著)した。

同様に日本橋から築地を経由して豊洲新市場(移転すれば)までの包括的で基礎的な情報を提供する書物が本当に見当たらないのに気づいた。業界の機関誌や記念誌はあるが、年表、写真と役所へ陳情記録が多かった。歴史と市場の動きを分析評価したものや将来展望が見当たらなかった。ほしい書物が見当たらない時には自分で著作することに限る。ほかの日本人に頼っていても、あまり意味があるとは思えない。地道で大局的で専門的な著作がもっとあってもよい。

だから、市場流通と築地や将来の豊洲の在り方について、プロにも素人にも学識経験者にも考える基を提供したいと考えた。多くの人がわかっていそうでいない卸、仲卸、買参人、潮町茶屋、軽子やターレ電動車にも触れる。築地市場と新豊洲市場の現状と問題点と豊洲市場の将来についても書いた。2017年1月に出版予定の「豊洲市場これからの問題点」(マガジンランド社)である。


海外への発信 日本人としての使命

ところで、日本人は自分たちのことを海外や外国人に発信することもほとんどしていない。だから国連食糧農業機関(FAO)で最近日本の水産業が話題に上ることもなくなった。ましてや築地や豊洲を体系的に海外に説明する書物もない。外国人から見れば、今の築地と豊洲論争は、いったいなんなのかとの疑問を持っている。一方で、外国人が我が物顔で築地に入場してくる。

この本は、幅広い読者を念頭に置き執筆した。まずは、豊洲(税金の使い方も含め)と築地市場に興味・関心がある一般国民と都民である。次いで、築地市場と全国の中央卸売市場で働く人々である。食品流通や生産業務の指導に携わる役人と政治家である。また、築地・豊洲を対象にしたい学術研究者である。在日大使館や外国人研究者に手に取ってもらいたいし、日本に水産物を輸出する会社・人も読んでもらいたい。英訳もぜひやりたい。海外へも発信したい。



豊洲市場第6街区水産仲卸棟の一区画 2016年12月


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