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日本人とは何か

第36回 日本人とコミュニケーション

公益財団法人東京財団
上席研究員
小松正之
2017年12月14日

日本人は話し下手、外国人はよく話す。

日本人は、話や文章の表現が不得意な人が多い。職人は、弟子に対して、身体で覚えろ、という。築地市場内の大和寿司でも若い人は下積みの仕事をする。コメを研ぎ、シジミ汁をつくり、食器を洗う。これは、最初から寿司を握るより大切な、経験をさせてもらっている。コメはすしネタと同様に寿司には重要で、どこのコメでどんな品種か、水の加減とだしの出具合とは、また、食器の洗浄もお客の好き嫌いが食べ残しからわかる。これらは文章での解説はないので、体感し学習するしかない。

政策研究大学院大学で外国人学生と日本人学生別々に「リーダー論」を教えていた。中小企業で講義もした。日本人の学生や受講生は発言と質問が少ない。また、講議が終わってから質問をする。

また、日本人は試験の解答用紙には、1ページの3分の1か4分の1程度しか書かず、回答を済ます。一方外国人の学生は1枚の紙の裏までぎっしり書く。

日本人は簡潔であるとの評価もあるが、一方で、書ける分量は頭の中で理解し記憶する分量である。


コミュニケーションは多様

しからばこれが日本人の固有の特性であろうか。答えは決して簡単ではない。すなわち、すしの職人修行のように言葉で表現したら言葉を要しすぎて、簡単には説明できないこと。それならば、見て体験・体得させて、要所要所だけを教える方が覚え安く教えやすい。この分野は日本人が得意だろう。

学習やコミュニケーションも文字からのみの体得ではない。相手の顔、身体と健康状態をしみじみと眺めて、その人に関する総合情報を得る。それは言語では一部しか表現できない。

日本人は言語表現できないコミュニケーションが得意で、顔を見て話し理解する。ものに心を籠める、対面での理解が得意か。それが年末年始のご挨拶のお中元やお歳暮による表現とコミュニケーションにもつながっているのではないだろうか。


類人猿と人間から未来を考える

京都大学の総長で類人猿を研究されている山際壽一先生のゴリラ、チンパンジーと人間の行動学の対談「野生の思考と未来の人材育成」に接した。これと私のリーダー論研究と比較して考えると数々の類似点や思い当たる点がある。将来の日本人の課題が念頭に浮かぶ良い情報を提供してくれる。

サルは単独行動を好み、相手の顔を見ながら行動をしないが、一方で、ゴリラとチンパンジーは相手の顔を見ながら相手の動向を確認する。人間も、相手の顔を見て話しをする。特に食事は相手と1.5メートルとの距離で相手の動作を見る。相手の様子を確認する。 ところが現在ではスマートフォンが発達し、それだけですべての関係がつながっているような錯覚を持ち、実際は、これまで人間が獲得していた情報を獲得できずに、希薄な人間関係が出来る。

また、人間は言語を話すようになったが、脳の容量が類人猿(500グラム程度)をはるかに超え、現代人の祖先の脳が1400~1500グラムの大きさ達したのは、言語を獲得する前であるとのこと。日本人の言語下手は、言語が発達する前に、集団生活や農耕作業をする上での能力を獲得することが得意であったそのために発達させたものであるとも考えられる。人間の言語は後天的に獲得されたものである。


スマートフォンと日本人の将来

日本人は人類の発展史では脳の発達の初期段階の特性を活用することに優れているということだろうか。言語脳の使い方はすこし不得手ということだろうか。

しかし最近ではネットやスマートフォンが隆盛を極め若年層を中心に、人と人の対面をしなくなってきた。しかし、これは文字を使うので言語脳を活用していると言えるのか。それとも人と人との対話を疎かにしているのであろうか。せっかく脳の大きさが現代人並みになった200万年前から時間をかけて発展させてきた対面コミュニケーション力と集団の活動能力という特性と利点をあっという間で失っていくのであろうか。



築地市場内の大和寿司;若い職人が修行する。著者撮影2017年12月


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