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日本人とは何か

第50回 バルト海に浮かぶ歴史に翻弄された国オーランド諸島

東京財団政策研究所
上席研究員
小松正之
2018年10月4日

夢にも思わなかったオーランド諸島訪問

2017年9月にはフェロー諸島を訪問したが、これも死ぬまでに一度はしたいことリストに掲載される程、訪問する機会はないと思っていたが、今年はさらにバルト海とボスニア海の境界付近に位置するフィンランドのオーランド諸島を訪問する機会に恵まれた。こちら側のニーズと受け入れ先の柔軟性とその間を取り持った日本企業の好意で実現した。まさかオーランド諸島にまで行くことができるとは夢にも思わなかった。

9月5日夕刻、飛行機はヘルシンキを発ってから40分程度でフィンランドの半島の西端のツルク市に着陸。離陸してその後25分して、21時過ぎにマリエハム空港に到着した。オーランド諸島は人口30,000人で、首都マリエハム(ロシア皇帝夫人メアリーの港という意味)では12,000人である。町並みは北欧特有の清潔で、落ち着いたカラフルさがあり、ゴシック式まではいかないが直線状の建物が多く、とても静かな町であった。

私たちを待っていたタクシー運転手は珍しく女性だった。英語を話すが、上手ではなくサッカー場の近くを通り、欧州選手権とワールド・カップでのアイスランドの活躍の話に及び、フィンランドは弱くスウェーデンが強いとの話になった。私はこの島の人たちが、フィンランドよりスウェーデンに愛着を持っていることに始めは気づかなかった。


数奇な歴史をたどるオーランド諸島と日本との関係

歴史を遡れば、オーランド諸島は海上交通の要衝で、スウェーデンとフィンランドの双方の間に位置してスウェーデンのストックホルムにはフィンランドのヘルシンキからより近い。もともとスウェーデン領であり、住民はスウェーデン語を話す。そのあたりからこの諸島の特殊性に気付いた。

19世紀初頭のナポレオン戦争のころ、スウェーデンは、ナポレオン側についたロシアとの戦い敗れて1809年にその敗戦の代償として600年間も支配していたフィンランドをロシアに割譲した。この時にオーランド諸島も一緒に割譲された。ロシアはフィンランドの一時的な解放者となったが、実際は支配者であった。

フィンランドは1905年の日露戦争で敗れたロシアの国力が低下し1917年にロシア革命が勃発して、ソ連邦が成立した際に独立した。フィンランドの国民がバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎元帥を尊敬するのはこのためである。ビールも東郷提督に因むものがあるといわれるが真偽は不明である。

フィンランドのロシアからの独立に合わせて、オーランド諸島はフィンランドからの独立とスウェーデンへの帰属を求めた。その結果、スウェーデンへの帰属は認められなかったがフィンランドへの帰属となり大幅な自治権を認められた。言語もスウェーデン語の使用が認められて、今日に至っている。この裁定は第1次世界大戦後の国際連盟でなされており、この裁定の中心となったのは当時国際連盟の新渡戸稲造事務局次長であった。ここに日本との関与が認められる。

エール大学時代の知り合いにフィンランド人がいてフィンランドは英語読みで母国語では「スオミ」と言うと教えてくれた。考えてみれば日本も国際社会では一方的に「Japan ジャパン」と呼ばれる。妙な話である。


日本より進む環境保護政策

2日間滞在中、陸上循環養殖施設を訪問し、大変親切に朝の9時から昼過ぎまで解説してもらった。昼食もニシンのマリネや現地のタラ料理を頂きながら2時から4時まで付き合ってもらった。陸上養殖施設の水の循環率は99.9%という驚異的な数字だった。外部には0.1%しか排水は出ない。日本の養殖は海で海洋を汚染しながら、陸上でもかけ流し式であり、環境への負荷をかけすぎている。世界は海洋の保全や環境の保護に大きく傾斜しているが、日本は世界の流れに遅れている。

バルト海にも出てトラウト・マスの養殖を見学した。オーランド諸島政府がとても環境政策が厳しくて、なかなか海上養殖の許可が出ない。餌や糞の排出がとても厳しく制限されている。



マリエハム空港9月5日



マリエハム市街の風景9月6日


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