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日本人とは何か

第54回 捕鯨条約脱退と日本の将来

東京財団政策研究所
上席研究員
小松正之
2019年1月8日

菅内閣官房長官は12月26日、国際捕鯨取締条約からの脱退を表明した。

「国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨のモラトリアムの見直しを行わず、我が国が努力してきたが、その努力に報いず、遅くとも1990年までに行うと約束していた見直しを行わなかったことである」などと説明している。こんな理由は20年以上前に使い尽くされた文言である。最近の日本の捕鯨交渉者は、自分の努力を尽くさず、先人の遺産を減少させ、自らが策定したシナリオに沿って物事がうまく進まなかったら、状況の大局的な分析もなしに判断を下しているのではないか。政府上層部にも状況判断が適切にできる情報が上がっていたのであろうか。捕鯨が後退する方向に脱退がなされ残念だ。

私が日本代表のころ、商業捕鯨の再開に必要な4分の3確保はIWCの勢力から判断して到底無理なので、条約第8条の加盟国の一方的な権利として行使できる調査捕鯨の権利を、行使した。その際、科学的な必要性について、捕鯨再開の卑近な目的だけでなく、人類全体に貢献する海洋生態系や海洋汚染・温暖化調査までも組み込んだ。

戦後、南氷洋における鯨類の乱獲が進んだので、1975年IWCは最大持続生産量(MSY)の概念を持ち込んだ新管理方式では、反捕鯨国の思惑に反し、ミンククジラの捕獲枠が算出され、1982年反捕鯨国の強引な工作によってIWC総会は商業捕鯨モラトリアムを採択した。しかし、「1990年までにはゼロ以外の捕獲枠を決定することを検討する。」と明記された。

1990年科学委員会では南極海ミンククジラは76万頭(現在は52.5万頭)と合意された。

1987年から改訂管理方式の開発が始まり1992年5月に完成した。76万頭の資源量に対しては2000〜10000頭の捕獲枠が算出された。反鯨国の思惑はまたも外れた。


2002年下関総会のピークと衰退の始まり

日本の捕鯨の交渉力のピークは2002年5月の下関での第54回IWC総会であった。日本の沿岸捕鯨の再開を求める採決は20票対21票の僅差に迫り、米国のダブルスタンダードの象徴たるアラスカの原住民生存捕鯨の採決を否決した。

しかし、10月のIWC英国の特別総会の開催時から、日本の捕鯨の衰退と崩壊が始まった。日本の沿岸捕鯨は認められないのに、米国の捕鯨を許容した。その後、さらに2010年の日米共同提案は南氷洋からの撤退、調査捕鯨の権利放棄、商業捕鯨モラトリアム是認と異議申し立て権を放棄する内容だった。事実上の捕鯨の終焉の始まりであった。

2005年6年からの第2期の南極海調査捕鯨の捕獲計画約1000頭に対し100〜200頭しか捕獲しなかった。

2014年3月の国際司法裁判所(ICJ)の判決は捕獲頭数が計画通りでないとの理由で、科学調査を商業捕鯨と認定、商業捕鯨モラトリアムを適用し中止に追い込まれた。

2018年9月ブラジル総会の日本提案;「過半数で捕鯨の再開」は単純過半数での商業捕鯨の再開の提案だった。非論理的で非現実的な提案であった。27対41で否決された。

日本の最大懸案は商業捕鯨モラトリアムの解除が28年間も無視されたことだ。商業捕鯨モラトリアムが違法であるとの見解を一層明確にし、200カイリ内捕鯨は加盟国の権限下の権利としてIWCの場で、商業モラトリアムの違法性を国際裁判で争うことが良い。反捕鯨国も商業捕鯨モラトリアムの違法判決が下されることが脅威であろう。条約内捕鯨は実施の根拠がなくなる脱退後の捕鯨より国際条約上の基盤が強固になろう。

最近のIWCの日本代表団は、先人の交渉姿勢が、IWC内での対立を招いたとの一方的思い込みから、「…無益な対立をあおらないよう、現状のIWCでは、採択の可能性がない提案を投票にかけることは行わない方向とする。…」(2008年日本基本方針)と変更した。この方針で臨んだ日本は、2010年のIWCの議長提案(日米提案)が「いかなる捕鯨も反対」の反捕鯨国から否決された。2018年9月の日本提案も否決された。

日本は反捕鯨国の善意に根拠もなく期待し、手続き提案をして、科学と持続可能な利用を前面に出さなかった。最近15年間、後退し凋落する日本捕鯨の一連の流れの中で、今更脱退してもこれらが突然示されることは期待できない。むしろ、最近15年続いた後退と凋落が進むと考えるのが妥当であろう。



2002年5月下関市での第54回国際捕鯨委員会総会の筆者;中段左2人目


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