日本人とは何か
第86回 コロナ機に日本人を考える
代表理事 小松正之
2021年1月14日
戦前と戦後の日本人
日本人とは何かを問い続けて随分長い時間が経つが、日本人も時代によって異なることは明らかである。
二つの時代区分が、日本人を形成するにあたっては大きく影響したと思っている。明治維新から第2次世界大戦前までの戦前と第2次世界大戦後の米国の占領後から現在までの日本である。
松本清張「昭和史発掘」(写真)、ライシャワー博士「ライシャワーの日本史」(写真)、広瀬隆「日本近現代史」と山川出版社「詳説世界史」を読んだ。
松本清張「昭和史発掘2」とライシャワー博士「ライシャワーの日本史」
富国強兵の社会主義者弾圧の戦前国家
第2次世界大戦前の大正・昭和初期には抑圧されて、世界恐慌後から自由にモノが言えない時代であった。
それでは戦後の日本人は、戦前の日本人より自由闊達にモノが言えて、自分の主義と主張を明確にしているのであろうか。
戦後直後の占領下で日本人は物を言ってきたのであろうか。そのくびきは解けたのか。国内でも対米でも表現の自由を行使しているのであろうか。
戦前には思想・信条を取り締まる特高警察と軍隊関連の動きを監視する陸軍省所属の憲兵がおり、共産主義と社会主義活動を取締り、強権を発動して、これらの運動と活動家を抑え込み、多くの共産主義者や社会思想家が投獄された。社会主義運動家で小説家の小林多喜二は築地警察署員に拷問死させられた。関東大震災後に大杉栄は憲兵に殺害された。
昭和初期の世界不況後、社会主義者らは、貧困からの脱却、差別と不平等の廃止を求めて労働運動や社会主義運動に命を捧げた。これらは大正デモクラシーの時代とも重なる。
拡張主義と若手軍人の跋扈
しかし、大正・昭和期に人口の爆発的増大と経済不況で、朝鮮、満州と中国への拡張主義でしか、日本を救う道はないと考えたのは農村部出身の陸軍の中堅幹部であった。
明治の元勲のコントロールが利かなくなり、天皇の統帥権は名ばかりになり、陸軍が統帥権を事実上握った。しかし、将官や大臣は現場部隊を統率していなかったので、青年将校や佐官・士官の過激論がまかり通った。朝鮮半島と中国大陸に進出した日本は、内閣が陸軍の中堅層と関東軍の帝国主義の前に抑圧された。
なぜこんなことが起こったのであろうか。貧しい日本人が増加する中でも、財閥は裕福で、閨閥と将官軍人に影響された政党政治は混乱し、国民は農村出身の若い軍事エリートにその改革を託したとの考えもできる。それが結果的に若手軍人の独走を生み、満州事変や盧溝橋事件を起こし、5.15事件や2.26事件を生んで、戦争を拡大する軍事国家に変容した。
日本人にはヒトラーやムッソリーニといったファシスト党の独裁者はいないが、日本も集団的独裁と分類されて、ファシスト国家と位置づけられた。また、英国のチャーチル首相や米国のルーズベルト大統領のような民主的プロセスを経た政治的主導者も存在しなかった。
米国からの贈り物;民主主義とワクチン
翻って現在の日本国民は、政府に対して誤りは誤りと糺し指摘しているのであろうか。
戦後は個人主義が行き過ぎであるというが、自分の責任とリスクを負い主張する個人主義ではなく、自分の身さえよければよいとの個人主義ではないのか。一人一人が戦前もわが身かわいいで、結局は敗戦で解体された国家となった。
米国が日本を平和国家と民主主義国家に換えた。しかし、これは借り物の民主主義で自ら勝ち取ったのもではない。結局は、平和と心の豊かさのためにも本質的なものも言えず、民主主義の重要性にも気づかないとしたらこれは不幸につながる。
今世紀大問題のコロナの時代に人出が大きく減少した。ところで日本は独自にワクチンも造れず米に頼り切り独立心・自立力が足りない。
人出がみられない夜の銀座中央通り 2021年1月10日(日)19時
国内でも日本政府の役人は官邸や首相に対して、忖度して物も言わない。各省の役人は官邸の政策が妥当で無い場合と判断しても、官邸への指摘は人事の報復を恐れものが言えないとしり込みし、各省の役人からの政策の知恵が内閣へは出ていかないとみられる。
現在の日本人とは一体何ものか。