日本人とは何か
第93回 日本人と宗教
代表理事 小松正之
2021年9月2日
日本人固有の宗教は神道
日本人を考える上では神道、仏教と儒教の影響を抜きにしては考えられない。書物をたくさん読んでも上記の宗教と学問的分析を試みた哲学が理解できるものでもない。しかし、読まなければさらにわからない。
日本古来の宗教は神道であろう。しかし、神道という漢字を当てており、すでに中国の影響を受けている。古代の日本人は「神は万物に宿ると考えた。」山川草木、海や人や動物もそれ自体が神である。西洋では神は万物を造り、全てを承知する万能の神である。
輸入宗教は儒教と仏教
日本に輸入された思想と宗教には、儒教と仏教がある。孔子は「学びて、時にこれを習う。またうれしからずや」という。アリストテレスの人智の愛、すなわち哲学と同じことを言っている。「巧言令色少なし仁」とも言う。「仁」とは何か。人間の基本的な生きざまであることは間違いない。
仏教は日本人の生活と社会に根差し、浸透した。日本に伝わった大乗仏教はインド仏教ではなく中国仏教であった。
その仏教が深く根付いているのがインドでも中国でもなく日本である。葬式と墓参りとお経をあげることは目にするが、私は仏教とは何かを理解をしていない。しかし、仏教も心の安らぎや困難時の生き方やよりどころを与えるものであろう。「あの世での成仏」もその一つであろうか。「この世では」ではどうするのか。
キリスト教の発展過程では、アリストテレスが4世紀や中世に頻繁に引用される。特に知識、自然と人間のかかわりで引用され、思想の展開のベースとされた。
アリストテレスと人智の愛;哲学
ローマのバチカン美術館のラファエロの間に、ラファエロの描いた「アテネ学堂」の絵があった。絵の中心はプラトンでその右隣りがアリストテレスであった。アリストテレスは紀元前4世紀のマケドニアに生まれ、そして、世界を制覇したアレキサンダー大王(34歳で戦死)の家庭教師をした。彼は「形而上学」を執筆し、「人間はだれしも知ることを求める」といった。知ることを愛することが「人智の愛」すなわち哲学である。
知れば知るほど人生が豊かになる。この世には見えるもの、見えないが感じられるもの、そして見えず感じられずに、思考できるものがある。人間には、その能力が備わっている。そのような抽象的なものが形而上学というカントの哲学に登場する。英語で「Metaphysics」という。「Meta」は上を意味する。「Physics」は物質を意味する。物質の上を行くものとでも直訳出来よう。
内村鑑三と日本的キリスト教
内村鑑三は小石川で生まれたが高崎で育つ。1877年に札幌農学校に入学した。そこでキリスト教に出会う。1873年に日本でようやくキリスト教の禁制が撤去された。そして正式にキリスト教の信仰が許されたのは、大日本帝国憲法が公布された1889年まで待った。
黒田清隆から「徳育」を教えてほしいと依頼されたクラークは、それではキリスト教を教えるしかないと答えた。内村はクラーク博士から直接学んではいなかった。札幌農学校を卒業後、内村は米国に渡りキリスト教に接し、敬虔なキリスト教徒になる。1887年に米アマースト大学で学び、クラーク博士にも出会う。
その後第一高等学校の嘱託教員となり教育勅語の奉読式で「不敬事件」を起こして同校を辞職した。「余は如何にしてキリスト信徒になりしか」は新渡戸稲造「武士道」に並ぶ名著とされている。
北海道大学構内にあるウイリアム・クラーク像 2019年7月著者撮影
アウグスチヌスの「神の国」がキリスト教を救う
アウグスチヌスは、キリスト教の西欧での確立に大きな思想的な貢献をした人と理解される。彼は、若い時にはマニ教の信者であった。そのマニ教からキリスト教に改宗した経緯を書いたのが「告白」である。「神の国」はローマ帝国がゲルマン人の侵入で破壊され、ローマが滅びた原因として、キリスト教をローマ帝国が信じたからとの説に真っ向から対立して、説明した書が「神の国」である。キリスト教徒とローマ教会にとって、その功績は大きい。
[参考文献]
若松英輔著「内村鑑三」(岩波新書)
山口義久著「アリストテレス入門」(ちくま新書)
出村和彦著「アウグスチヌス」(岩波新書)