日本人とは何か
第97回 日本人の思想の柱・バックボーンと将来を考える
代表理事 小松正之
2022年1月13日
東京の冠雪と2.26事件
新しい年に入って新年早々1月6日にも雪が降った。東京都心でも8センチの積雪と言われ、7日の早朝に見た新宿御苑の木々の上に積もった雪景色は大変に美しかったが、これも数時間で消えてしまった。
東京では雪で連想されるものは、1931(昭和6)年の2.26事件であるか。青年将校が、疲弊した農村社会をたてなおすため、見識と経験不足に基づく正義感に燃えて首相官邸や陸軍省を襲って、岡田啓介総理らを殺害した事件であった。私は、政策研究大学院大学の教授を務めていたころ近くのフランス料理店「龍土軒」に行った。そこには2.26事件を起こした青年将校らが、レストランに残した署名入りの決意書があり、よく見せていただいた。
新宿御苑に積もった2022年1月7日早朝の冠雪
脆弱な明治国家
最近は新宿の内藤新宿から赤坂の放送局TBSの前まで約1時間散歩する。四谷駅から右に折れて、迎賓館の前と小泉八雲の短編集に登場する「ろくろ首」が出た紀国坂を下り弁慶橋が見える。
北に上がったニューオータニ東京付近の清水谷公園は、近代日本国家の建設の立役者の大久保利通が明治11(1878)年島田一郎など6人の旧加賀藩士に殺害された場所である。
日本国家のかじ取りが、伊藤博文らの長州藩士らに移行した。司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、明治国家が描かれる。東洋の片隅の弱小国家が、大きく羽ばたく姿を描いた。軍事拡大が、国民の一人ひとりの力量と民度を超えた。国家が絹織物などの脆弱な農業輸出に依存して、実力不相応に軍事大国を目指した。
清水谷公園内の大久保公哀悼碑 2022年1月10日
国家・国民の背骨;バックボーンは何か
しかし、深い根本的な問題は、国家と国民の背骨となるべき思想/思考の拠り所の不足であろう。神道や仏教は、日本国民の思想の柱となりえたのか。ユダヤ人の膨大な「生き様書」の「タルムード」やキリスト教徒の「聖書」に匹敵する日本人の生きる指針があったのか。
明治政府が大日本帝国憲法を制定する際に、プロセインの公法学者クナイストから日本には「聖書」に匹敵するものが必要であると指摘された。仏教は廃仏毀釈で明治政府は否定した。仏教は戒律を守り、自らを高め、衆生救済が目的だが、浄土教では念仏さえ唱えれば良かった。葬儀などの宗教儀礼に帰着し、生き方の本質へのこだわりが無くなった。
大日本帝国憲法と教育勅語の限界
従って、明治政府は、この国家・国民の精神的な支柱を憲法への記述を避け、代わりに教育勅語を定め、これを国民の思想の柱とし下賜した。天皇は、憲法では「神聖にして侵すべからず」とされた。教育勅語では、神との関係における良き正しい生き方に代えて、天皇家や家長・家族に対する「仁義忠孝」とした。これは日本が近代国家として出発した際の限界であり欠点でもあった。
神道には経典がない。しかし、日本人は正月にまず第1番目にお参りに行く場所は氏神様の神社である。日本人は「無病息災、家内安全と商売繁盛」を願掛けする。神と日本人の関係は、生き様には無関係である。キリスト教では、神に対して冒涜し不敬である悪人はいずれ懲らしめられる。自然や予測不能の出来事は神がつかさどり、人間の手には負えない。しかし、神道では、「神社にお祈りして避けるものである。」
それでも「お天道様は見ている」とも言われる。
自然の食と摂理を大切にする年
コロナウイルスもまだ蔓延中である。キリスト教では、人間の日ごろの行いが悪いから起きた厄難・禍であり神の領域の出来事で、それには、人間の所業を糾すことだと考えられよう。経済開発優先で自然を破壊した。
それでも日本はまだ新しい資本主義と岸田首相が言っている。7月25日までの参議院選挙用の目先を急いだ対策だ。
自然からの啓示・警鐘である雪がいつ降り、いつ消えるのか、恐ろしい巨大竜巻や台風はいつ来るのか。人間のコントロールの範囲を超え、経済優先の自然破壊では世界と日本に不必要に災害が起きる。災害でもコロナでも経済成長は吹き飛ぶ。
重厚長大産業優先から食と自然を保護し大切にする生き方が、自然の摂理を穏やかにする最良の方法ではないか。それらが孫と子の世代に日本の自然と住みよい社会を残すため求められる。(了)
[参考文献]
渡辺照宏「日本の仏教」(岩波新書)1958年1月
三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」(岩波新書)2017年3月
A. ファン・セルムス著・登家勝也訳「ヨブ記」(教文館)2002年8月
J.W.T.メーソン著・今岡真一良訳「神道の本義」富山房企画 2019年(令和元年)5月
市川裕「ユダヤ人とユダヤ教」(岩波新書)2019年1月