日本人とは何か
第100回 ウクライナ戦争とユダヤ人(その2)
代表理事 小松正之
2022年4月18日
国際情勢と日本国憲法の前文
日本国憲法の前文「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互感を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。」との記述がある。これは、ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の大陸間弾道弾ミサイルの開発と発射により、破綻ないしは既にそのような前文の宣言が成立する条件を失ったのではないか。憲法第九条改正論争以前の憲法の基礎に関する根本的な問題であろう。
旧ソ連首相のニキータ・フルシチョフはウクライナ出身である。彼は、戦後経済発展をした日本を見て、旧ソ連もサンフランシスコ講和条約に参加しておくべきであったと回想録に記載した。歯舞島と色丹島を返還し、日本からは、経済的支援を得るべきであると言った。(その後は削除)
サンフランシスコ講和条約は1947年9月に日米を含む48か国で締結され、旧ソ連は会議には参加したが条約に署名はしなかった。条約には千島列島と南サハリンを放棄すると記載されている。条約に記載の千島列島には南千島の国後と択捉島は含まれない。そして、北海道の一部である歯舞島と色丹島はもともと含まれず、「返還せよ」との日本の主張は戦後一貫する。チャリティー・コンサートも良いが、返還を要求する主張と日本国憲法にも触れた北方などの防衛の現時点での総点検が必要であろう。
1941年日・旧ソ連中立条約と2014年ウクライナ停戦共同宣言
松岡洋右元外相とスターリンが、1941年4月14日モスクワで日ソ中立条約を締結した。スターリンは大いに喜び熱狂的な興奮を見せた(モンテリフィオーリ著「スターリン上」(白水社;訳書)。
この条約は、1945年4月9日のソ連軍の一方的な満州、朝鮮、千島と樺太の日本軍への参戦で事実上破棄された。同条約は1946年4月24日まで有効であった。国際法では戦争による一方的な領土の変更は違法であるといわれる。千島列島も一方的にロシアによって占拠された。
ウクライナ東部ドンバス地方をめぐる紛争解決のために、2014年4月17日に米、EU、ウクライナとロシアの間で「停戦の共同宣言」が合意された。武力の解除、人種差別や宗教上の差別の否定が合意された。しかし、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻は、この合意に反することになる。
欧州のユダヤ人はポーランド・リトアニア国に居住
欧州に居住するユダヤ人はライン川の東に多かったが、ユダヤ人の受け入れに熱心であったポーランドを中心にユダヤ人の定住が拡大した。ポーランドは14世紀後半にリトアニアとの隣国同盟を結びポーランド・リトアニア連合国を樹立した。この国は、北はバルト海から南は黒海までの現在のウクライナを含む広大な領土に広がった。しかし18世紀後半には、オーストリア、プロシアとロシアに3回に亘って分割された。
ポーランド・リトアニア共和国は帝政ロシアに割譲
現在のウクライナを含むポーランドに接する広大な地域には500万人ともいわれるユダヤ人が居住した。彼らはとても勤勉で、村(ステットル)ごとに集落を形成し、そこで食料品店、鍛冶屋や靴屋そして農業を営んだ。一部は食料と日用物資の交易の商売で繁盛したが、ロシア人は、ユダヤ人が居住する空間の囲い込みをロシア帝国政府に要求した。その広大な囲い込み地帯は「Pale of the Settlement」と呼ばれた。そこには500万人のユダヤが居住していた。現在ではウクライナの人口の1%、4万人までユダヤ人の人口は減少した。
Pale of the Settlement ユダヤ人の囲い込み居住地域 資料;Wikimedia Commons
これらのユダヤ人の人口減少は、パレスチナに建国されたイスラエルへの移住;300万人と新たな新天地で民主主義の中に、救世主;メシアが存在すると考えた米国に移住した。残った人々は、ロシアによるポゴロム(ユダヤ人殺戮)とナチス・ドイツによる第2次世界大戦の前後のホロコースト(大量虐殺)で殺された。その数はドイツやポーランドなどのユダヤ人も入れて600万人と推定される。この間と第2次世界大戦末期までにスターリン政権によるロシア反体制派、ドイツ人、ポーランド人とユダヤ人の殺戮も300万人ともいわれる。(続く)
[参考資料]