日本人とは何か
第111回 2022年10月ローマ訪問記(その3)
代表理事 小松正之
2023年3月7日
ローマの4大教会;聖ジョバンニ・ラテラノ教会
4大教会のうちのバチカン寺院とセントマリア・マジョレ教会については既に記したが、ローマに到着してからすぐに「角の生えたモーゼ像」がある聖ピエトロ・インビンコーリ教会から、コロッセオの近くまで南下し、東方向に約10分歩くと「聖ジョバンニ・ラテラノ教会」に着く。協会前には大聖ジョバンニ・ラテラノ広場があり中心には花崗岩(Granite)から出来たエジプトのオベリスクが聳え立っていた。中に入ると長年教皇が暮らしただけあって最高のレベルに装飾が施され、モザイク画と絵画が描かれている。
私の第1印象は、バチカン寺院より優れた荘厳なバジリカでありカテドラルであった。聖ジョバンニ・ラテラノ教会は世界の母なる協会と位置付けられた。この教会は2二人のジョバンニ(イタリア語、ヘブライ語ではヨハネ。恵み深いとの意味。英語ではジョン)を祈念する聖堂と位置つけ付けられた。その二人のジョバンニとは、キリストを洗礼したジョバンニとキリスト教を世界に福音したジョバンニである。
聖ジョバンニ・ラテラノ協会の天蓋;キリストなどが描かれる。2022年9月
この教会は313年に歴代教皇の住居となり、5世紀には正式な居住地となった。しかし5世紀にはゴート族フン族の侵入がありローマが破壊され、14世紀には二度にわたる火災で同教会が破壊され、荒れ果てた。そこで教皇はバチカン寺院に居を移した。アビニョンの捕囚(1309年から1377年)から解放され、フランスからローマに帰国後であった。
バジリカの天蓋(APSE)の中心の丸い円の中にはキリストが描かれ、その下にはキリストを洗礼したジョバンニとスペインなどでキリスト教の布教に全人生を下げた福音者ジョバンニが描かれている。
壁外の聖パウロ寺院
ローマに赴任した直後の1988年にこの教会を一度訪れたことがあったが、その後は、ロ-マ空港に到着後にタクシーでの通り道で車窓から眺める程度であった。しかし今回は思い切って、訪問した。
10月1日にローマのFAO専門家であった加藤正勝・モーリン夫妻に招かれ、アッピア街道沿いのイタリア・レストランで会食後、私は、壁外の聖パウロ寺院で加藤氏の自動車からおろしてもらった。
私はローマに入る前に使徒パウロがローマ在住人にあてに書いたとされる「ローマ人への手紙」を読んでいた。これはパウロが紀元後56年か57年の終わり型にギリシャのコリントで書いたものとされる。彼は過去において何度か果たすことができなかった西方(イスパニア)への旅を企画し、その途中でローマにも立ち寄ると記述している。そして彼はローマに到着した。しかし、当時はクラウディウス帝がキリスト教を禁止し、ユダヤ人とキリスト教信仰のユダヤ人をローマから追放した。このような時期にパウロはローマを訪れ、キリスト教の布教に精力を出す。そして彼は、壁外の聖パウロ寺院が建てられた場所で処刑された。
キリストはユダヤ教の改革者として大きな功績があるが、聖パウロ、聖ジョバンニとそして聖ペテロなど12使徒の命を懸けてもキリスト教を布教・福音する硬い意思はどこから出るのか、本当に12使徒の決意と努力は心から尊敬に値する。
壁外の聖パウロ寺院の外観 クロワスター 著者撮影 2022年10月1日
10キロの道を中心街まで歩く
帰りは、日本大使館近くのホテルまで10キロを歩くことにした。健康・健脚とローマの街を見学するためであった。5キロ北に位置する国連食糧農業機関(FAO)の本部を目指した。ピラミッドが立つアベンチーノ通りを歩きFAOが見えたところで、チャールトン・ヘストン主演の映画「ベンハー」の戦車の闘争シーンの撮影が行われた円形競技場の北をテベレ川のほうに歩いた。ローマの休日で有名になった「真実の口」をにたどり着き、ベネチア広場に出た。そこからテルミニ駅を目指した。そこで前日に食べたまずいラーメンを食べたくなった。日本人であり、疲れてほっとしたいときに日本食を食べたくなった。(了)
ローマのテルミニ駅のラーメン店(左)とラーメンと餃子(右)2022年10月1日