世界と私

第13回(最終回)
女性の役割;コレッタ・キング夫人とエレノア・ルーズベルト夫人


国際東アジア研究センター
客員主席研究員 小松正之
2014年8月7日


支える女性と活動する女性
 世界には女性の地位向上のために戦った数多くの女性がいる。ドイツの首相のアンヘラ・メルケル、ミヤンマーの民主化の主導者アウンサン・スーチーとポーランド人ノーベル賞受賞者マリエー・キュリー夫人米公民権運動の闘士マルチン・ルーサー・キングJr牧師のコレッタ夫人や米大統領ルーズベルトのエレノア夫人である。コレッタ夫人は支える女性でエレノアは支える役割と自立活動の役割の双方である。


夫を献身的に支えるコレッタ夫人
 コレッタ夫人は1927年にアラバマ州のヘイバーガー市に生まれた。音楽に才能があり、メゾ・ソプラノの歌手で、意思の強い母親の血を受けた。大学を出てボストンの音楽学校で学びキングJr牧師と出会った。父は運送業で成功した。嫉んだ白人からの妨害にも屈しなかった。キングJr牧師は黒人の選挙権獲得などの公民権運動に身を投じ、抵抗する南部の保守的で過激な白人層から妨害を受けた。生涯に3度も生命の危険にあう。子育ての最中にもアラバマ州のモントゴメリーの自宅が爆発され、家族全員が生命の危険にさらされた。彼女の父は、一時、自分のところに身を寄せることを提案したが、彼女は、夫の活動を支えは自分の役割だとして、身の危険も顧みず、自宅に残り夫を支えた。キングJr牧師は「コレッタ夫人は自分の弱さを補い、根本的に支えた、彼女なしでは物事はなしえない」と感謝した。


大統領を支えるエレノア・ルーズベルト(写真)
 エレノア・ルーズベルトは1884年に米屈指の富豪の家庭に生れた。叔父はセオドア・ルーズベルト第26代大統領で、不自由のない家庭に生まれたが、母も父も彼女がこともの頃に死別し、祖母に育てられた。家族は親近相姦などにまみれた。若いころにロンドンでの教育を受ける。教師が、彼女に世界的な目を開かせる。彼女の人生観が変わった瞬間であった。彼女は、自分の遠い従兄のフランクリン・ルーズベルトと結婚し、人生で大きな転機をもたらす。第32代米国大統領である。彼女は妻として尽くすが二つの事件が影響する。一つは、彼女の秘書を務めていたルーシー・マーサーと夫が浮気をしたことである。彼らは、その後一切の関係をたったとされた。 エレノアは生涯フランクリンに対する愛情が欠けた。大統領を支えたが心は離れたままであった。もう一つは、フランクリンがポリオを発症したことだ。家族の献身的な看病で彼はその後のニューヨーク州知事と米史上例のない4選の米大統領となる。


女性の地位向上と選挙権の獲得へ
エレノアは弱い立場の人の地位と権利向上に努力した。女性の社会進出と選挙権と黒人の公民権の獲得である。単に言葉だけでなく行動で示した。女性として初めて国連代表団に指名された際、全女性のために失敗は許されない思いで引き受けた。黒人女性の参加を許さないある協会の代表職を辞任した。そして生涯、毎日「My Day」の表題で136の新聞に、ルーズベルト大統領が死亡した時期4日間を除いて自由な考えを寄稿した。大統領の死後も自由な立場から社会に貢献していく。


彼女の信条と現代の女性
 エレノアは「自分にはたった3つの資産がある。第1は深い好奇心、第2にあらゆる挑戦と機会を更に学ぶ機会と受け入れること。第3に湧き出るエネルギーと自己鍛錬力である。」と語った。実行は簡単ではない。しかし彼女の後も女性の努力は続く。
 2008年米大統領選挙の民主党予備選挙で米初の女性候補ヒラリー・クリントンが20州以上で第1位の票を獲得したが、初の黒人候補バラク・オバマに大統領候補を譲った。2016年の大統領選擧が近い。国務長官を辞任したヒラリーは初の女性大統領となるか。日本女性もスポーツでは男性以上の活躍だ。社会的にも掛け声の女性登用ではなく実質を伴った女性の時代の到来が待たれる。


マルチン・ルーサー・キングJr.
(写真;エレノア・ルーズベルト。Howard Gardner「Leading Mind」から引用)


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