私が見た世界

第1回 ケネディ大統領のハーバード大学ともう一つの名門エール大学

政策研究大学院大学
小松正之
2013年12月4日

ハーバード大学とエール大学
 ケネディ大統領がハーバード大学に入学したのは1936年である。それから17年後、彼が私の目にも飛び込んできた。1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された映像が、衛星放送で、米国から日本に送られたときである。
 エール大学が私の身近になったのは1982年7月である。1977年に当時の農林省に入省し、国際交渉が重要な水産庁に配属された私は、英語が上手になりたいと真剣に思った。
 2011年3月の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の漁村の生れで、国際交渉を通じて故郷の役に立ちたいと真剣に考えた。そして、人事院の行政官長期海外留学制度(2年間)に合格し、ハーバード・ビジネス・スクールとエール大のビジネス・スクールの双方に入学の願書を提出したら、幸運にもエール大から合格通知が来たのであった。


ハーバード大学もたった4人の学生から
 ケネディ大統領が入学した約300年前、ハーバード大学は1638年10月に設立された米国最古の大学である。英植民地の一つマサチューセッツ湾議会が、大学建設に400ポンドの支出を決定したことに始まる。この大学は、ニューイングランドへの初期の移住者である清教徒などが良心の自由と正当な宗教を学習したいとの向学心から建設した。
 英ケンブリッジ大学の卒業生が多く建学に携わった。1640年に開校した当時はたった4人の入学制しかいなかった。


学長も反骨心と革新的。自由な気風
 ハーバード大学の名前は土地と財産を寄付した牧師ジョン・ハーバードに由来する。この大学は歴代名物の学長を輩出する。40年間も在職したチャールズ・エリオット、排他的クラブ組織を打ち破ったローレンス・ローエル、第25代学長で大学院と対決し教育法を近代化したデレック・ボックそして現在は、初めて女性のドリュー・ファウスト学長である。学部学生数は6650人(男女半々)、大学院生が13000人そして教員数は2300人、卒業生寄付金などで運営を賄う。エール大の4倍もある。リーダーシップを教えるケネディ行政大学院スクールは1936年の設立だが、1966年にケネディ大統領に因んで名称を変更した。


自由な教育のエール大学
 1701年に、コネチカット植民地ニューヘブンに清教徒の牧師たちにより、エール大学が設立された。その場所がオールドキャンパスと呼ばれる。(写真1) その目的は、コネチカットで清教を教える牧師の育成とコネチカット植民地の発展に不可欠な一般市民層の育成であった。ボストンから遠く離れ、勉学することが困難で危険であったことも挙げられる。
 加えて、ハーバード大学が、正統な神学教育から逸脱したので、これを是正するための正統な教育機関が必要だとの考えにも基づく。創立者のほとんどはハーバード大学の卒業生であった。エール大学の名称は多額の寄付をしたエール元東インド会社総督に因む。設立の憲章「An Act for Liberty to Erect a Collegiate School」では、「神の御加護により、芸術と科学を若者が学んで社会に奉仕すること」と記述される。その精神が現在にも流れる。本年まで総長を務めたリチャード・レビン氏は「エール大学の自由な教育とは、社会に役立つために、精神の質と思考のありかたの重要性を説く。他人に貢献し、個人としての精神の自由を持ち、民主主義に貢献すること。自由な教育は与えられるのでなく勝ち取るものである。」という。

エール大学の発祥の地 オールドキャンパス
写真1 エール大学の発祥の地 オールドキャンパス(2010年11月撮影)


恩師からの名誉な言葉
 寝ても覚めても、英語漬けと勉強漬け。英語がわからず、目が回り、雲がかかったような、授業だった。それでもこの苦しさを乗り越え、後の人生の自信につながった。家族の支えも重要だった。(写真2)
 2009年9月のエール大学院卒業25周年の同窓会に出席した折に、まだ教鞭をとっておられた、リーダーシップと組織論の世界的権威で、恩師であるブルーム教授から現役の学生に「小松さんは「米ニューズウィーク誌」で世界が尊敬する日本人100人に選ばれた。その人を教えたことはエール大学も名誉である。」とお褒めのお言葉をいただいた。私にとっては生涯忘れられない言葉である。


写真2 エール大学院の家族向け学生アパートと著者
(左2階に1983年から84年に妻と長女と住む)
(2010年11月撮影)


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